防災に過信は禁物〔2909〕2011/04/03
2011年4月3日(日)横浜は曇り
今朝も神奈川県の横浜。ホテル近所のスーパーの売り場を撮影してみました。震災直後に比べると、随分商品も回復してきたとのお話やったですが、実際に見てみるとやはりまだ爪痕は残ります。
このお店のヨーグルト売り場はご覧の通りで、「お一人様各種1点まで」という表示が掲げられちょりました。ペットボトルの水売り場には「乳幼児用以外のご購入はお控えください」との表示。高知では、これほど売り場がガラガラすることはありません。
ただ、各地でヨーグルトが不足し、弊社もできうる限りの対応はさせて頂きよりますが、生産能力と包材に限界があり、ご要望にお応えできてない部分もあります。申し訳ございません。
しかし、店内の照明も節電で暗くし、商品棚が歯抜けになっちゅう姿は、高知とは全然違うので、あらためてショックです。
ここ横浜では、震災といえば関東大震災を連想するようです。大正12年の直下型巨大地震。東京界隈が震源地というイメージがありますが、実は三浦半島付近。 10万人といわれる死者のうち、3万3千人が神奈川県。特徴としては、火災による被害者が圧倒的に多かったということ。
今、山手界隈の古い洋館がならぶ界隈は、観光スポットになっちょります。幕末に開港されてから外国人居住地となり、立派な洋館がたくさん建てられた訳ですが、ほとんどが関東大震災で倒壊してしもうたそうです。数年間は外国人は日本に住むのを嫌がり、立ち退いたそうですけんど、すぐに戻ってきて復興します。今の、あの、素敵な洋館群は、ほとんどが関東大震災後、昭和初期に建てられたもの。
ところで、関東大震災の頃、丁度、水道の普及が進められよったそうです。水道の整備で、火災が発生しても消火活動が簡単にできると考えた人々も多かったようです。しかし、実際は、埋設されたばかりの水道管は断裂し、消火に水道管は使えんかったそうです。そこに強風が重なり、火災が広がったとされます。
やはり、現在の技術を過信することなく、先人の忠告に耳を澄ませんといけません。謙虚に対策を考え、実行していくことの重要性。