万々、円行寺街道で16°を検証してみました〔2882〕2011/03/07
2011年3月7日(月)晴れ!
晴れました。こないだうち、太古の土佐の条里が、烏帽子山と鴻ノ森を結んだ直線、南北の線から16度だけ傾いた条里になっちょったかも知れん、というお話を書きました。そして、それが、律令制以前、都佐国造屋敷が、そのきっかけになったかも知れんというひまわり太郎の妄想も書きました。これを検証するがはかなり大変やと思いますが、そのうちになんとかしてみたいですね。
と、言う訳で、ひょっと、その条里制の痕跡かも知れんとひまわり太郎が妄想した、万々商店街の直線道路へ来てみました。ここは、万々商店街の南、新屋敷。
向こうにJRの高架が見えよります。あの向こうが商店街で、こっからまっすぐまっすぐ延びちょります。北環状線の北までまっすぐつながり、円行寺街道と高知の皆さんは呼びます。
で、ここ新屋敷にて、携帯電話のコンパス機能をONにしてみましたがご覧の通り。ちょっと見にくいですけんど、コンパスの画像の上には「北344°と表示されちょります。そう。360°から16°傾けてみた訳ですね。これを見たら、この道路が16°傾いてまっすぐ、みたいに見えますけんど、これは無理矢理で、実はちょっとだけ違うがです。よく見るとちくとズレちゅうでしょ?
これを見ると、その古代の条里制の16°とは関係なく、後世につくられた直線道路ながかも知れません。う~ん、なかなか妄想通りにはいきませんな。
今度は、埋文センターの方にもお聞きした、鴨部、神田界隈で16°を探してみたいと思います。鴨部は、賀茂氏と関係の深い、古い古い歴史をもつエリア。あそこなら、可能性もありそうです。ここ万々も、鴻ノ森からは近いし、土佐の荘園としてはかなりの古さを誇る久万荘とも近いですきに、まだ可能性がない訳ぢゃあございません。このところ、頭の中を16°がグルグル舞いよります。
まあ、こんな妄想を膨らませる前に、16°の情報源に確かめてみるがが早そうですけんど。