新堀川の風景、2003年と比べてみました〔2853〕2011/02/06
2011年2月6日(日)良いお天気ぜよ
今日は良いお天気の日曜日。今朝は県の主催する環境美化運動がありまして、ちくとゴミを拾いにでかけちょりました。担当エリアは、偶然、新堀小学校界隈。と、言う訳で、久々に新堀小学校周辺をじっくりまったり楽しんできました。もちろんゴミも拾いながら。
しかしあれですね、新堀川の風景が、ここ数年で劇的に変わってしまいました。ここは、江ノ口川から新堀川に分岐する所。ここに、刎ね橋が架かり、こっから向こう、つまり南に向こうて、新堀川が流れちょりました。いや、今でも実は流れよりますが、この道路の下になってしもうて、わからんなっちょります。
このにっこりを始めたばっかし、2003年5月1日のにっこりを、ぜひバックナンバーからご覧になってみてください。丁度、このアングルからの当時の風景がご覧頂けます。
この左手の建物は、当時のまんま。で、2003年には、この正面に大きな赤い水門があり、今立っちゅう場所には「刎ね橋」が架かっちょりますね。刎ね橋は、藩政期に、新堀川の東西から板をさしかけて架けられちょったことに由来する橋名。新堀川は、こっから鏡川までの南北を流れちょりました。今は、かるぽーとの前で堀川につながり、浦戸湾に流れこんじょります。こっからかるぽーとまでがほぼ暗渠。所々に川面が顔をのぞかせちょります。
この向こう側に、桜井の跡があります。道路工事のためとかで、そこにあった秋葉神社は平成14年から高知八幡宮さん境内に仮に移されちょりましたが、いまは新しい祠になって、橋の袂に鎮座しちょります。いや、あの橋、今は渡りよっても橋とは気付きませんね。ただの交差点になってしまいました。
まちづくりというのは、街を愛し、ながいながいスパンで考えていかんといけません。この風景を見よって、しみじみ思いました。未来の高知市民たちが、こんな街に住んで良かった、と思うような、そんな街。大切ながは愛と想像力ですね。