西武跡地の鉄骨と動的平衡〔2844〕2011/01/28
2011年1月28日(金)晴れたり曇ったり
霧島では、火山の噴火で火山灰が降り積もり、エラいことになっちゅうみたいです。宮崎は、これでもかと言うばあ、災難つづきですね。どうしたもんでしょうか。心よりお見舞い申し上げます。
さて、こないだうちから変化するもの、しないもの、というお話をしよりますが、今日は変化のお話。そう。はりまや橋交差点の変化。
ここははりまや橋交差点。東向いて信号待ちしよりましたら、あの、西武跡地に鉄骨が立ち始めちゅうがに気付きました。
あの、交差点南東には、ひまわり太郎が子供の頃、土電会館という百貨店がありました。屋上遊園地、大食堂、2つの映画館、そして、レーシングカーとかができるアメージングスペースなどなど、少年にとって夢のパラダイスでしたね。その後、西武百貨店が出資して「とでん西武」に、次いで「高知西武」となったがはご承知の通り。そしてそして、2002年12月25日、閉店となりました。この、にっこりひまわりが始まる4ヶ月前のこと。しばらく建物は残り、一階部分の東側は土佐電鉄のバスターミナルとして利用されよりました。それも、2005年11月10日には役目を終え、建物が取り壊されました。その最後の風景は、2005年10月23日、26日、11月8日、9日、10日のにっこりひまわりバックナンバーでご覧になれます。
あれから5年ちょっと。
色んな住民の運動や、所有者の移動などの数奇な曲折を経て、いよいよ空き地ではなくなろうとしています。
しばらく前から基礎工事はやりよりましたが、フェンスに隠れた部分でやりよりましたので、なにをしゆうかメッソわかりませんでした。ついこないだまで。
そうしたところ、今日みてみたら、かなり鉄骨が立っちゅうので、あわてて写真を撮ったのでありました。
はりまや橋交差点と申しますと、高知県人にとって、「街の中心地」というイメージがあります。その場所も、どんどんと変化しよります。青山学院大学の福岡伸一先生の本には、生物が生きるということは、変化している状態のことを言う、と書いちゃあります。動的平衡と名付けておられます。街も生き物であり、動的平衡の上に成り立っちゅうということが、このはりまや橋交差点の変遷を見よったら実感できます。