鏡川蛇行の痕跡〔2842〕2011/01/26
2011年1月26日(水)晴れ!
ここは痕跡。藩政期の痕跡。場所は、三翠園さんの北側、文化ホールの南側の通りを東へ行った所。南の駐車場前から北向いて撮影しました。左手に見えるのはNTTのビル。
この交差点、そして南北の道路は、妙に不自然に広く、不自然なかたちをしちゅうと思いませんか?。ここは、藩政期、鏡川の方から逆U字形の池があったがです。その池に囲まれた部分が中島になっちょったので、そこを通る東西の道路が中島町となりました。
池は、八軒町などを取り囲むように逆U字形になっちょって、中央西の部分が少し広うなっちょりました。その、広うなった部分が、たぶん、現在のNTTさんの場所。この場所、ひまわり太郎が生まれた頃には、高知県立中央病院がありました。なんで知っちゅうかと申しますと、ひまわり太郎はそこで生まれたきですね。その後県立中央病院は、菜園場の東の新町の方に移り、そして現在は池地区の高知医療センターになっちゅうがです。
なるほど。池の跡につくられた中央病院が、変遷を経て、高知市池という地区に生まれ変わったという訳ですな。
さて、この、不自然な形状の広い交差点は、そんな訳で、藩政期の池の痕跡ということです。今はもう、藩政期の痕跡は、かなり少のうなっちょりますので、貴重な場所かも知れません。
その藩政期にあった逆U字形の池は、実は、鏡川蛇行の痕跡。
山内氏が高知の城下町をつくりあげるまで、鏡川は、もっと狭く、蛇行する川でした。その、今の山内神社の界隈から大きく北に蛇行しちょった鏡川の痕跡が、藩政期の逆U字の池。そしてその痕跡が、この歪なかたちの交差点と広い道路、NTTさん、ということになります。ややこしいですけんど、そういうことです。痕跡の痕跡ということですな。ぜひ、そんな目で、いっぺんここを眺めてみてください。