九反田橋と鏡川〔281〕2004/01/22
2004年1月22日(木)快晴
今朝は冷え込みましたね。氷点下でしょうか。
今朝は高知市内を流れる鏡川の、下から2番目の橋「九反田(くたんだ)橋」夜明け前の姿を撮影してみました。遠方左手に鉄塔が2本建った五台山が見えます。
この橋、最初は昭和4年12月に架けられ、現在の橋は、確か昭和40年頃に架けられたものやと記憶しちょります。今、鏡川に架かっちゅう橋のなかではダントツに古いものですね。他の橋は、殆ど、近年近代的な広い橋に架け替えられちょりますので、残されたこの橋の風情はなかなかにえいです。
「鏡川」という名称、一般に使われだしたのは、実はそんなに古い時代ではないようですね。明治11年の河田小龍が製作した地図や明治26年の市街地図には、この写真の界隈が「潮江川」、少し上流の紅葉橋付近が「雁切川(がんきりがわ)」という記載になっちょります。
「鏡川」という名称は、藩政中期、文人藩主としてしられた山内五代藩主豊房が、一番最初に命名したと言われちょります。この藩主、高知城下や近郊に広がる山川草木151種類にそれぞれ風雅な名前をつけたのだそうですが(例えば「鹿衣松」「乙女松」「卯花山」「千鳥磯」「千本坂」「四手掛櫻」などなど)、そのなかに「鏡川」という名称が登場します。この名称は、文人達に愛用されたようですが、一般の民衆が使うには至らず、明治29年の高知市街地図に、初めて「鏡川」という名前が使用されました。以外と新しいんですね。
ところで、昨日ご紹介しました「物部川」や、須崎市を流れる「新荘川」も、その昔「鏡川」と呼ばれた事があるそうです。美しい川への人々の気持ちが伝わってきますね。