上岡八幡宮の氏子さんエリア〔2807〕2010/12/22
2010年12月22日(水)晴れちょります
昨日はよう降りましたね。12月とは思えんような降り方でした。今日はまだ雲が多いですけんど、クリスマスに向こうてまっしぐらです。
こないだうちから物部氏の話ばっかしですき、興味ない方はヒトッチャア面白うないと思いますので、今日はちくと時代を下りましょう。と、申しましても今朝もやっぱし上岡八幡宮。拝殿前の石段の下から、西へ向かう小径があります。拝殿の南をすり抜けて物部川の堤防へ向かう小径。その小径から、西に沈むまん丸いお月様を撮影してみました。手前の傾いたり損壊した燈籠、狛犬、そして枯れ木が、荒れ果てた感を煽っちょります。
以前も書きましたが、こちらの小径は、ここに物部川の渡しがあった時代、上岡八幡宮の西参道でした。この向こうの堤防下と、物部川西岸をつなぐ渡し船。戦後しばらくまであったようです。この西の皆さんは、渡し船に乗って氏神様の参拝をしよった訳です。
しかし、物部川に橋が数本架かり、渡し船は無くなり、そしてこの西参道も使われんなりました。あの燈籠とかは明治以降の新しいものですけんど、そんな感じには見えんくらい荒れちょりますね。
藩政期とかの文書には、ここ上岡は、対岸の物部村の枝村になっちょります。つまり、物部村と上岡は、大河を挟んでひとつのまとまった地区やった訳です。上岡は野市よりも物部を向いちょったということです。
昔、物部川の本流はもっと西を流れよったので、上岡と物部は一つの地区やった為、そういうことになったらしいがです。物部の西は田村で、平安の昔から国人、入交氏が支配しちょった地域。中世は守護代細川氏が住み、土佐の中心地となりました。当然物部は入交氏の勢力下にありましたが、ここは香宗我部氏の勢力圏との境目で、状況は複雑やったにかありません。
ところで、この上岡山を西の物部から見た写真を、このにっこりひまわりでも何度かご紹介しちょります。山の上に朝日が昇り、神々しくも荘厳な雰囲気。物部氏の祖であり、上岡山にも石舟でやってきたニギハヤヒノミコトは、太陽、お日様の神様。ですきに、川向こうの物部から見たらこの上岡は神の岡で、太陽の神様の岡やったがかも知れません。ですきに、物部、上岡集落の東側に神様の山があるがです。と、またまた物部氏と信仰の話になってしまいました。