野市の某所から鳥瞰〔2806〕2010/12/21
2010年12月21日(火)曇りのち雨
お昼くらいから、しっかりした雨脚になってきました。明日は晴れるみたいですね。クリスマスは少し冷え込むクリスマスらしい気候になりそうです。
さて、ここは香南市野市の某所。某所以上のことは申せんががもどかしいですが、某所。その某所から、早朝の香南市を撮影してみました。左手の空が朝焼けになっちゅうがでわかります通り、方向としては東南東。眼下の団地がみどり野団地で、その向こうが旧香我美町。その間を流れる川が香宗川。
この場所から南西を撮影したら、野市の町並、いつもの上岡八幡宮の山、そしてその向こうが物部で、その南が土佐南部弥生期最大集落のあった田村。
言い伝えによりますれば、河内、大和を離れたニギハヤヒノミコトは、天磐船に乗って空を飛び、その上岡山に降り立ちました。そして、再び飛び立ち、変遷を経て旧香我美町の石舟神社(天忍穂別神社)にたどりついた、ということ。その神社は、この写真正面の山並の中にあります。写真中央の谷を入っていった場所。そこが、物部氏の根拠地となった訳です。
さて、ニギハヤヒノミコトに擬せられた物部氏が土佐にやって来たのがいつ頃か、ということを考え、昨日一昨日の妄想を当てはめると、弥生後期から古墳時代初期。すると、田村の集落が落日を迎えよった時期で、そこへやって来た有力者、物部氏は、田村に近い上岡を一旦本拠とし、変遷を経てあの山中に入っていったということでしょうか。この中央を流れる川が香宗川で、その西岸に、古墳時代初期の県下最大級の集落、東野土居遺跡があります。その香宗川をさかのぼると、石舟神社のある山。つながっちょります。
古墳時代の遺跡とか、弥生集落とかいうと、なんとなく匿名性を感じ、どこの誰兵衛が住みよった、という実感が湧きません。しかし。
東野土居遺跡に物部一族が住みよった、とか言われると、俄然、そこで生活しゆう人々の暮らしが具体的に妄想できたりしますよね。
この、野市某所から鳥瞰する東南西のエリアは、古代物部氏が支配しちょったがで間違いないでしょう。