慶応三年夏の明け方は、ここに酔うたんぼがゴロゴロ〔2787〕2010/12/02
2010年12月2日(木)晴れちょります
こないだ、11月23日のにっこりで、鏡川の「のえくり」のことを書きました。歴史民俗資料館でやりよった「幕末維新土佐庶民生活誌」という企画展に、その「のえくり」の模様を描いた絵図が展示されちょって、詳しゅうにその様子が書いちゃあったというお話。で、その企画展の図録に、その絵図が掲載されちゃあせんがが残念やった、と言いよりましたら、歴民の学芸員さんが、その図は平成10年に開催した企画展「歴史と美術 維新の群像」の図録に掲載されちゅう、というて、送ってきて下さいました。素晴らしい!
その絵は「慶応三年鏡川夜涼みの図」とされる作者不詳の絵で、天神橋が右端に描かれ、河原のとてつもない賑わいを描写しちょります。その下には詳細なレポートが書かれちょって、幕末土佐を知るためのこじゃんと貴重な資料になっちょります。
これによりますれば、「四條川原夕涼などとは同席の論にあらず」と、京の繁華らあ比べものにならん!言うばあの賑わい。河原に出たお店は300軒を数え、「料理屋・支度屋・すし屋・うなぎ屋・楊弓・のぞき・うつし絵を始とし、諸菓子類は申におよばず。」ということでした。売女も当然出現するも、これはさすがに当局が差し止めた模様。
夕刻に、東は布師田、仁井田、種崎から、西は伊野村から大勢の人々が集まり始め、夜10時~12時くらいがピークやったと書かれちょりますね。
こないだも書きましたが、この慶応3年お盆から秋にかけての土佐のノエクリ大騒ぎは、全国的には「ええじゃないか」で知られる騒ぎと連動しちゅうみたいにみえます。大政奉還、王政復古に至る時代の大転換、どんでん返しに、庶民が高揚しちょったがでしょうか。
写真は、その絵図に描かれちゅう鏡川原。夜明け前で、静かな風情の鏡川。右手に天神大橋が見えます。
慶応3年の夏から秋にかけて、この場所の明け方は、酔うて寝込んだ酔うたんぼがぞろぞろと起き出してくる風景が見られたそうです。