城跡を貫通する三原駅〔2781〕2010/11/26
2010年11月26日(金)晴れ!
今朝は三原。広島県の三原。尾道の西側にある、海に面した街、三原。初めてやって来ました。新幹線三原駅で降りたがも、生まれて初めてやと思います。
昨夜、三原駅に着いてみますと、構内に「三原城天守台」と書かれた案内板がありました。それにつられて階段を上っていきますと、2階部分がら外に出れる扉があり、その外に出るとそこが天守台でした。
三原城は、戦国末期、かの小早川隆景さんによって築かれたお城。城と申しますか、海の要塞やったところ。
小早川隆景さん、毛利一族として毛利家の発展に寄与し、瀬戸内海の水軍が睨みをきかせちょりました。その軍港として三原を利用し、港の島を繋いで要塞化したがが三原城といわれちょります。
その広大なお城の本丸は、満潮時には海に浮かぶように見えたそうで、浮城とも呼ばれました。明治になって、海軍が鎮守府を三原にこさえろうとしたがも、昔からの軍港の実績に鑑みてでしょう。結局鎮守府は呉になりましたので、三原城趾が軍に利用されることはありませんでした。
で、その後、明治27年に鉄道が敷設された際に、何とその本丸のあった城跡部分が三原駅になりました。無茶なことしますな。石垣も糸崎港建設の資材に転用されたそうですきに、もったいなかったです。まあ、当時は文化財に対する考え方が今とは違いましたき、仕方なかったがでしょうか。
しかし仕方あるがは昭和50年。もう、当時は文化財に対しても考え方が確立されてきちょった時代。にもかかわらず、山陽新幹線開業とそれに伴う在来線高架工事で、何と天守台を貫くかたちで三原駅ができあがってしもうた訳です。無茶しますな、まっこと。
そんな訳で、駅の構内から天守台に階段で上って行けるようになっちゅうがです。
写真は、今朝の夜明け前。新幹線三原駅のホームから天守台を撮影してみました。まだ真っ暗いので、何のことやらわからんと思いますが、真ん中に「三原城趾」の看板が立っちゅう、城跡らしい風情がホームから見えます。