南風はなんぷう〔2780〕2010/11/25
2010年11月25日(木)ぬくいですね
今、岡山方面に向かう特急南風の中で、このにっこりを書きよります。写真は、高知駅停車中の南風車窓から南を眺めた景色。眼下から南へ電車通りが延び、高知の表玄関らしい風情。この右手の広場には龍馬伝の大河ドラマ館と高知の物産を売る「とさてらす」が建っちょります。大河ドラマ館は、龍馬伝が終わったら取り壊されます。その建物、引き取り手を探しゆうらしいですね。いっつも思うがですが、ホントにもったいないことをします。確かに観光客さんはドラマ館に来るがでしょうけんど、来年にはもう無いなっちゅう施設にリピーターはありません。
しかし、何とか龍馬人気にあやかりたい人々は、「とさてらす」の横に、龍馬伝で使われた龍馬の家のセットが移設できることになって喜んじょります。何だかなあ、ぢゃあございませんか?
さて、ひまわり太郎がこどもの頃、高知駅から急行あしずりに乗って、しょっちゅう阿波池田方面に行きよりました。汽車が吉野川を渡る緑色の長い鉄橋をご存じでしょうか。今、徳島道の吉野川を渡るところから見下ろせる、あの風情のある鉄橋。あの北詰の昼間という地区に親戚がありまして、夏休みとか春休みとかのたんびに長期間泊まりにいきよったがです。
交通手段としては主に急行あしずりで、各駅停車で行くこともありました。そしてたんまに「南四国急行バス」というがも使いました。当然高速道路はある訳ないので、国道32号線をのったりまったり走る南四国急行バス。
当時の急行車両は、二人づつが対面になった座席。椅子も硬うございました。後になって特急南風が走るようになり、初めてこんな感じのリクライニングシートになったがが感動やったことを覚えちょります。
四国に初めて特急列車が導入されたとき、高松から松山方面へ走る特急は「しおかぜ」、高知の方へ走るがには「南風」という名前がつけられました。最初、あちらが「しおかぜ」ですきに、当然こっちは「みなみかぜ」と読むもんとばっかし思いよりましたら、実は「なんぷう」やったのでビックリしました。
そのうちに予讃線は全面的に電化され、スマートな特急電車が走るようになりましたが、土讃線は今でも単線ヂーゼル。今も、ゴウゴウとエンジン音を響かせながら新改の坂を登りよります。丁度今、新改のスイッチバックの駅を通過しました。
ひまわり太郎、ヂーゼルの汽車、嫌いぢゃありません。こんな山の中を一生懸命はしるヂーゼル特急、風情があって大好きです。
そう言えば、昔、鉄道を高知へ引くのに、高松からの現在のルートを建設したもんか、松山からの今の国道33号線沿いのルートを建設したものか、議論が分かれたそうですね。もし、松山高知に汽車が走り、こっちの高松方面に走っちゃあせんかったらどんなになっちょったでしょうな。今とは全然違う高知県になっちょったような気がします。