夜須七郎さんと下夜須城〔2750〕2010/10/26
2010年10月26日(火)晴れ!
やっとこさ晴れました。今朝は高知の中東シリーズです。
ここは夜須。今は香南市になった、旧夜須町の、旧役場からちょっと北へ行ったところ。
平安時代末期、このエリアに、源氏と関係が深い京の石清水八幡宮の荘園が成立しました。この地区は、東に手結山、西に月見山が海に迫り出し、海と山に囲まれた要害になっちょります。ちょっとした独立国という風情。
源平合戦の頃、土佐は平氏の勢力が強かった訳で、源氏方は、夜須のような攻められにくい、しかし海に向いて開けちゅう場所を拠点にしたかったがやないですろうか。源平合戦時の、夜須荘の荘官は夜須七郎行宗さん。このにっこりでもビッシリご紹介しちゅうき、皆さんはご存じでしょう。伊豆での頼朝挙兵に呼応して、土佐国介良に流されちょった頼朝弟の希義さんが挙兵、それを助けようと、夜須から出陣して行ったがが夜須七郎行宗さん。左手の小山が、その本拠、下夜須城があった山。遠くには、以前ご紹介した、夜須の津波の際の命山、観音山。その右手に月見山。
夜須七郎さん、結局、希義さん救援は間に合いませいで、ここまで戻り、手結の港から紀伊の国へ逃げました。その後、源氏勢力と共に土佐の平家勢力を駆逐、壇ノ浦ではこじゃんと活躍をして、合戦後、この夜須の地頭になっちょります。
とっと昔、吉川英治さんの新平家物語を読んだ際に、その合戦の中で、源氏の一族、新宮十郎行家という人物が登場して活躍しました。土佐の歴史を勉強するようになって、夜須七郎行宗という名前に行き当たり、しかも行宗は、行家であるという説もあり、エライ名前が似いちゅう、しかも源氏を助ける行動も似いちゅう、という不思議な印象をもったことを覚えちょります。
さて、壇ノ浦で活躍したと言えば、今の安芸市を本拠とした安芸氏も、その祖先が壇ノ浦で大活躍しちょりますね。その安芸氏の一族、畑山氏が、その後夜須荘を脅かすようになり、勢力を持ちましたが、最終的には長宗我部氏に取って替わられたがはご承知の通り。
長宗我部氏は、家臣の吉田重俊を、このエリアの責任者にして治めさせちょります。その吉田さんのずうっと子孫が吉田東洋さん。そして、龍馬伝で吉田東洋役を演じた田中みんさん、今度の土曜日に同じ香南市の赤岡、弁天座で舞踊を見せてくれます。