意味のある残し方〔2745〕2010/10/21
2010年10月21日(木)曇り
今日も高知東部のお話。ここは手結(てい)。国道から南へ下りたところを走るサイクリングロード。昭和49年まで、つまり36年前まで、ここを電車が走りよりました。土電の安芸線。昭和5年に開通した安芸線は、県東部の重要交通機関として重宝されよったがですが、ひまわり太郎が中学生の時に廃止になってしまいました。中学の同級生とか先輩とかで電車で通うてきよった皆さんは、バス通学にかわってしもうたことを覚えちょります。
で、手結界隈の線路の跡は、サイクリングロードとして利用されるようになりました。安芸線の中でも、手結山を越える部分はたぶん一番の難所で、こうやってトンネルが掘られました。トンネル側面をご覧ください。ここに、電車の架線が引かれちょった訳で、その名残のオブジェがキチンと残っちょります。これこそ産業遺産。36年前まで、ここを電車が走りよった証拠。
サイクリングロードとなった今、ご覧のようにお遍路さんも利用できる素敵な径になっちょりますし、電車が走りよった面影も留めちょります。これは意味のある残し方ですね。
今、高知城の西側の、植木枝盛さんの家が取り壊されることが決まっちょります。行政の方で、買い取り保存するとかできんかったがでしょうか。自由民権運動の重要な活動家で、現在の日本国憲法に通じる憲法案を起草した植木枝盛さんの、その、執筆活動をした家が残されちゅうということはすごいこと。
そんな歴史的構築物の大切さが理解されちゃあせんかった頃、板垣退助さんの家も含め、すべてが取り壊されてしまいました。現代、そういった、歴史文化民俗の重要性が認められてきゆうはずやったがですけんど、その頃から一歩も動いちゃあせんことがわかりました。
50年後、植木枝盛さんの家がそのまま保存されちゅうがと、テレビドラマで使われたセットが残されちゅうがと、どっちがエイでしょうね。
この、見事な産業遺産の残され方を見て、考えてしまいました。