鏡川大橋、潮江新田、すっとんきょうなお百姓さん、峠の山道〔2741〕2010/10/17
2010年10月17日(日)良いお天気
良いお天気の、秋の日曜日。本日区民運動会という地区も多いみたいで、朝からいそいそと運動場へでかける老若男女が多かったです。
ここは午後の鏡川河口、鏡川大橋。中の島から、対岸の潮江新田(しんた)方面を撮影してみました。とっと向こうに、南嶺の山々が見えよります。
昭和56年に、この大きな橋ができるまでは、この界隈はもう浦戸湾というてもかまん雰囲気の、海の風情でした。橋があるとないとで随分と感じが変わってきます。
鏡川の向こうは、大正期までは潮江村。一面の田んぼが広がる農村地帯。
もともとは海沿いの地域ですきに、水に塩分が混じり、農業には不適の地域やったと思われます。そこに、南嶺や、遠く神田川から用水を引き、新田として開発されたがでしょう。ですきに地名も「新田(しんた)」。
このHPの投稿欄に時折投稿いただき、また、このにっこりにも登場する潮江雪太郎さんは、その潮江新田界隈のお百姓さん。藩政期からの大きいお百姓さん。今は、東京の高級百貨店や有名レストランで使われるような、超高品質野菜をつくっておられます。が、一緒に吞みに行くとすっとんきょうです。
藩政期から明治にかけて、あの山の南、長浜方面とお城下の間の主要交通機関は船やったと思われます。静かな浦戸湾を船で往来したら、ワリアイしゅっと。龍馬さんも、種崎の中城家とかへ行くがには船を使いよったでしょう。
徒歩で行くとすれば、天神橋か雑喉場の渡し船かなにかを利用して潮江へ渡り、筆山、高見の山麓から六泉寺に抜けて、南嶺の山越えをします。この写真の、大橋の延長線上、マンションと橋の間に見える山のへこんだ部分、あそこが丁度、その山越えルートの峠やったと思われます。
昔の皆さんの健脚ですと、そんなに苦もなく、たぶん2時間もあれば長浜、御畳瀬界隈まで歩いて行けたので、結構往来は賑やかやったがかも知れません。今の寂しい山道からは想像もつかんですが。