亥の大変と寅の大変は3年後〔2740〕2010/10/16
2010年10月16日(土)晴れちょります
今朝は高知。いつもの上岡八幡宮の朝。参道入り口から朝日が昇る東向いて撮影してみました。参道は、この鳥居を出ると3mくらい下りになっちょります。その左手に上岡の集落がありますが、その地面の高さは、この境内とほぼ同じ。この高さは、現在の物部川の堤防の高さと一緒くらいで、物部川水面よりは大分高いことがわかります。
大昔からあったと思われる上岡の集落は、この河岸段丘上にありまして、南西の一段低うなっちゅう所には、古い集落はありません。
こないだうち、物部川の大洪水の歴史をちくと書きましたが、よほどのことがない限り、この上岡集落や八幡様境内の高さまでは洪水はやって来んかったと思われます。集落内にはこじゃんと古そうな墓所もありますきに。右手の杉の向こうにある燈籠は文化9年寄進。こないだ書いた「亥の大変」の大洪水は文化12年(1815年)ですきに、あの燈籠は亥の大変でも大丈夫やったということになります。
今、気付きましたが、あの燈籠がご寄進された3年後に「亥の大変」が。そして手前の鳥居がご寄進されたがが嘉永4年で、その3年後に「寅の大変」が。藩政期の香長平野二大天災が、ここへ立派な燈籠や鳥居がご寄進された丁度3年後に発生しちゅう訳です。何やら因縁めいちょりますな。
さて、昨日、とある会合で、高知の「川の外科医」で有名な、近自然工法の福留さんの講演を聴きました。何度か聴いたことがありますが、やはりすごいです。近自然工法とは、見てくれを自然みたいにするとか、土手を土につるとか、そんな単純な話では全然なく、自然の川の流れを昔ながらの石組み工法を使うて施工し、災害にも強く、生き物が豊かな川にする、というもの。全国で請われて川の手術を行われよります。すごいです。
で、講演後、ちくとお話をしよって、現在の物部川、ちょっと大雨が降ったら濁りが消えず、生物環境が著しく悪くなってします物部川のことを訊いてみました。やはり上流の「山」をなんとかせんといかん、ということです。
一度、漁協や山の皆さんも含めて、勉強会をしてみませんか、とのことでした。こりゃあ、有り難いお話。ちょっとだけ、未来への光が見えてきたような気がします。