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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

切戸は200年前の大洪水の名残〔2738〕2010/10/14

切戸は200年前の大洪水の名残

2010年10月14日(木)晴れ!

チリの鉱山落盤事故で、地下に閉じこめられちょった33名の救出劇を昨日からずうっとニュースでやりよります。良かったですね。こういう明るいニュースもないといけません。さて、一昨日のにっこりで、物部川の洪水と深渕神社のお話をしました。調べてみますれば、物部川、田村に弥生集落があった時代から数え切れんくらいの洪水で大被害をもたらし続けてきちょります。藩政期に入ってからも、それはそれはビッシリ氾濫しちょりますが、中でも「亥の大変(いのたいへん)」と称される文化12年(1815年)の洪水がすごかったようです。ちなみに、この界隈での大災害で有名ながが、安政大地震の大津波、通称「寅の大変」と、この物部川洪水の「亥の大変」。

それっぱあ凄まじかった文化12年の物部川洪水ですが、これは、山田堰から下流の堤防は、ほぼすべて決壊し、広範囲に濁流が押し寄せちょります。西は五台山まで物部川の浸水域が広がっちょったと言いますきにすごいですよね。

西南方面に流れた濁流は、浜改田の北の琴平山に突き当たり、そっから逆流して東進したそうです。で、通常やったらそのまま後川を東進して本流の方に戻るところですけんど、その時の濁流は、前浜の浜堤を切り開いて海へ直接流れ込みました。東西約2丁(2百メートル強)、浜堤が切れて海へ流れ込んだということで、その場所は、現在でも切戸という地名が残されちょります。浜堤の一番低い、弱い部分やったがでしょう。

その堤は修復され、藩政期から明治大正昭和を過ごしてきた訳ですけんど、昭和58年その切戸に、後川の放水路がつくられちょります。写真がその放水路の太平洋への出口のところ。右手に水門が見えます。

この橋は、その放水路に架けられた、その名も「切戸橋」。昔の大洪水で浜堤が切れた場所に、水量調整の放水路がつくられたという訳です。なるほど。昔の経験が生きちゅうがですな。

切戸という地名は、今から200年前の大洪水の名残という歴史を、皆さんご存じながでしょうか。


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