ここが表参道やった時代〔2729〕2010/10/05
2010年10月5日(火)晴れ!
ちくと雲が出ちょりますが、基本的には晴れちゅうとしたもんでしょう。涼しい風が心地良い朝。
ここは、いつもの野市、上岡八幡宮さんの参道をまっすぐ来たところ。正面の小山が上岡八幡宮の森。拝殿から石段を下り、参道をまっすぐ南東方向へ行くと、坂道を下ったところで、現在の道路はちくと斜め左に曲がり、河岸段丘沿いに延びて行っちょります。が、昔はそのまままっすぐ南東方向に参道が延びて行っちょったことが、この鳥居の痕跡でわかるのであります。ここがまっすぐの延長線上。
この赤い絨毯に見えるがは、昔の参道の上にビッシリと生い茂った彼岸花。密生と言うたちかまんばあ、真っ赤に咲き乱れよります。今はヒトが歩く道としてすら利用されんなり、このようにお花畑みたいになっちゅうがです。
左右の2本の柱は鳥居の痕跡。かろうじて「嘉永」と読めますき、境内にある嘉永4年寄進の鳥居と同じ時期に建てられたものと思われます。
そう。嘉永の昔には、この赤い絨毯部分が表参道と申しましょうか、メインストリートやった訳です。そして、あの小山の南側から西へ、物部川に向かう参道もあり、渡し船で物部川西岸の皆さんが参拝に来よったこともわかっちょります。
西岸は現在の南国市物部。こないだうち、その物部の道路工事現場から太平洋戦争時の砲弾がどっしこ出てきて自衛隊が処理をした、てなニュースをやりよりましたが、そのしゅっとそばから、またどっしこ出土してきたそうです。不発弾と言うより、戦争終結の際に海軍が埋めたものらしい、と推測されちょります。今の空港、海軍の空港やって、米軍の空襲やら爆撃やらをこじゃんと受けちょりますきに、この上岡を含む周辺地域にも、掘り返してみたら戦争の遺物がどっしこ出てくるものと思われます。
この花畑になった参道を、賑やかに氏子さんたちが歩きよった時代もあれば、毎日空襲に怯えよった時代もありました。そして、今はのどかに静かに美しいたたずまい。