新宮馬之助さんは野市の農家の生まれ〔2728〕2010/10/04
2010年10月4日(月)晴れ!
昨日、11時半までの一時間の時間雨量が80mmを超えて10月の記録を更新したらしいです。昨日はおおかた室内に居ったがですが、丁度その時間帯だけ、外を、傘をさして歩きよったひまわり太郎は、タイチャアコタヤカサレました。まあ、記録的な雨を体感できてよかったです。
ちくと浸水もあったにかありませんが、さすがに雨に強い高知だけありまして、80mm超という雨でも大被害にはなりませんでした。他の県やったらこうはイカンかったろうと思います。
さて、昨日の龍馬伝では、亀山社中がいよいよ土佐藩の庇護の元に海援隊になる時期のエピソードをやりよりました。亀山社中は、その半分以上が土佐藩士やった訳で、土佐のあちこちから優秀な人材が集まっちょりました。ひまわり乳業南国本社から近いところの出身で言えば、野市(現香南市)の新宮村出身、新宮馬之助さん。
この方は、新宮村の普通の農家出身。で、小さい頃から絵が上手やったそうです。それが彼の運命を切りひらきました。
絵を学ぶため、高知の城下へ出て、あの河田小龍さんの門下生となったのでありました。龍馬に世界を事情を教示した河田小龍さん。で、その後江戸へ出て、饅頭屋近藤長次郎さん(この人物ももちろん河田小龍門下生)と一緒に勝海舟の海軍塾に入り、そのまま龍馬と運命を共にして亀山社中の隊員となりました。なかなかの俊才やったと言われちょります。
ここは野市、新宮の公民館前。ここに、ご覧の通り、「新宮馬之助先生誕生之地」という碑が建てられちょります。こっからちくと西へ行くと、山手に熊野神社が鎮座ましましちょります。その神社に、馬之助くん16才の時に描いたとされる絵馬が奉納されちゅうそうですね。神社の、閉まっちゅう扉の格子の所から覗いてみましたら、大きな絵馬が2枚、小さな絵馬が2枚見えました。どれが馬之助くんの絵かは判然としません。一度調べてみたいところです。
ところで河田小龍さん、ホントに優秀な人材をどんどんと亀山社中、海援隊へと送り込んじょります。海援隊になってから隊士になった長岡謙吉さんもその一人。文才に優れ、あの龍馬の船中八策を文章化したがも謙吉さんなら、大政奉還建白の文章を起草したがも謙吉さん。河田小龍門下生、恐るべしです。馬之助さんは、普通の農家の倅ですきに、絵が上手やなかったら小龍門下生になることもなく、この地でお百姓さんとして一生を過ごしたかも知れません。世の中、何がどう関連して人生が切り拓かれていくかわからんですな。