新堀川、堀川、四ツ橋、才谷屋さん〔2707〕2010/09/13
2010年9月13日(月)晴れちょります
ちょとだけ小雨がぱらつきましたが、やっぱし暑い9月中旬。真夏の暑さはまだまだ続くのでありました。
ここは木屋橋。正面の橋が、新堀川を電車通りが渡る木屋橋。普通、これが橋とは気付かんづくとに渡りよります。と、言いますのも、この南、巨大な建物かるぽーとの前に広場がつくられ、完全に暗渠になってしもうたきです。あそこに高知市の中央卸売市場があった頃は、この南北に流れる新堀川と、中央卸売市場の北を東西に流れる堀川の、川の交差点になっちょりました。ですきに、そこには四角形に4つの橋が架かり、四ツ橋と呼ばれよった訳です。
左手の銀行の場所、明治4年正月に西郷どんが泊まったとされる場所。色んな説がありますけんど。その時、近所の九反田での会談に臨んだがは西郷どんに大久保利通、長州の木戸さん、そして土佐代表は板垣さん。廃藩置県に向けて、治安維持軍をどこが出してどんな配置をするか、などのニッポンにとってこじゃんと大事な話がなされたがにかありません。
ところで、寛政4年(1792年)の城下町の住宅図によりますれば、この右手、堀川沿いの角から3軒目に、才谷屋善右衛門という名前が見えます。才谷というのは今の南国市、高知自動車道南国インターの北東にありまして、そこを出てお城下で商人として大成した才谷屋さんという豪商がおります。本家は今の上町2丁目の交差点近くにあり、城下を代表する豪商、分家もいっぱいあったみたいですきに、ここの才谷屋さんもその分家の可能性が高うございます。その分家の一つが、お金で郷士株を購入して武士となった坂本家。龍馬の家でございます。
龍馬さん、ここにも親類の家があったがかも知れません。行動範囲がこじゃんと広い少年龍馬くん、ここへも遊びに来たことがあるでしょうか。龍馬の住む地区も商人や職人が多い街でしたが、この界隈も同じような繁華な街。ビッシリ遊びに来たかも知れません。