競馬場の痕跡、古き良き時代〔2708〕2010/09/14
2010年9月14日(火)爽やかな朝
ホントに久し振りに、窓を開けて布団無しで寝よったら寒い朝になりました。やっと秋も重い腰を上げ始めたがでしょうか。
さて、我々の住む町には、いろんな場所に過去の痕跡が残されちょります。例えば、2005年8月31日とかでご紹介しちゅう、細工町の道路の盛り上がり。あの盛り上がりは、藩政期、武士の住む郭中と庶民の住む下町を隔てる堀と土塁があった痕跡、という話はビッシリ書いちょります。そしてこの場所。
実は、昨年の8月22日にも一度ご紹介しちょります。ここは高知県立南中・高等学校のグランドの西側。フェンスの向こう側が運動場で、テントやら万国旗が準備されちゅうところを見ると、どうやら運動会も近いみたいです。大切ながはこの道路とフェンスのカーブ。
ここは、昭和60年頃まで競馬場でした。その跡地に南高校が創られた訳ですが、その際に、馬が走るコースの形が残され、このようなカーブした道路ができたということらしいのであります。たぶん右回りのコースやったですきに、ここは第1コーナーから第2コーナーに向かいあたりでしょうか。小生、昔の高知競馬場に行ったことがないので、ようわかりません。が、当時行きよった方は懐かしいカーブながやないでしょうかね。
そう言えば、このHPにも時折書き込みしてくれる高校の友人は、ここへビッシリ行きよったにかありません。授業をさぼって行ってみたら、仕事をさぼって馬券を買いに来ちゅう某先生が居ってみつかり、お互いに気まずうなって、先生から「黙っちょいちゃおき黙っちょけよ」と言われたという逸話など、古き良き?時代のほのぼのとした雰囲気の舞台になったががここ。そんな昭和ののったりまったりした痕跡を、ここで見ることができます。今は健全に中学生、高校生が運動会をやりゆうグランド脇の、知る人ぞ知る昭和の痕跡です。