潮江天満宮、大山祗神社のカニはいつから〔2698〕2010/09/04
2010年9月4日(土)暑いです
昨日の朝は風がだいぶ涼しく、季節が変わり始めたと思うたがですけんど、今朝はまたじっとりと暑うございました。飲み物が売れて結構なことです。
さて、ここは久々の潮江天満宮。本殿西側の小山の上、境内社である大山祗神社の手水。このにっこりひまわりを初めてから何度ご紹介したかわかりませんが、ここは毎年ご覧のように夥しいカニがやってくる、言わばカニのパラダイス。何が気にいっちゅうがか知りませんが、潮江天満宮にたくさんある手水の中でも、ここは特別の場所にかありません。6月くらいからボチボチやって来て、今の季節にはご覧の通り。木陰の涼しい水辺でくつろぎゆう、という風情。羨ましいですな。
この手水、大正10年11月にご寄進されちょります。大正10年11月と言えば、ワシントン会議が始まった月ですな。これでワシントン海軍軍縮条約が締結されることになった訳で、対米、対英国6割の軍艦保有率が定められました。取り敢えずこの条約で、ニッポンの猪突猛進はちょっとだけ回避されることとなりました。この時の海軍から出た全権が加藤友三郎さん。今年6月8日のにっこりで、広島城の横にある銅像をご紹介しちょります。この後、海軍は条約派、艦隊派にわかれて混迷を深め、老害が始まっちょった軍神東郷平八郎さんを担ぎ出した勢力が、「統帥権干犯」などと言い立てて良識派を駆逐していくことになった歴史はご承知の通り。
この手水がご寄進された月に始まったワシントン会議では、もう一つ、九カ国条約という重要な条約が結ばれちょります。中国の権益保護、領土保全を目的とした条約で、幣原喜重郎さんの協調外交の成果やった訳ですけんど、これもなし崩しに日本軍によって無視されていくこととなり、泥沼の日中戦争へと突き進んでいくことになったのもご承知の通り。
この手水は、束の間、軍縮への機運が盛り上がった時期にご寄進された訳です。その頃から、今のようにカニがやって来よったがでしょうか。当時も、このしゅっと東側に小川がせせらぎ、鏡川へと流れ込みよったことは確かですき。