紀貫之邸跡〔269〕2004/01/10
2004年1月10日(土)晴れ
今日も南国工場へ来ちょります。よう晴れちょりまして、とても気持ちのえい土曜日ですね。
ひまわり乳業南国工場のある南国市は、その昔土佐の国の中心が所在したところです。なかでも奈良時代から平安時代にかけては、立派な寺院や国の役所が立ち並んだ賑やかな場所でした。今ではご覧のようなのどかな田園風景が広がる素敵な場所になっちょりますね。
写真は、奈良時代から平安時代にかけて、土佐の国の国司(今の県知事のようなもの)の館が在ったと伝えられる場所です。その当時の国司は、中央政府から派遣されちょったがですね。その官舎です。
ここがその館の跡という証拠はないのですが、地元での言い伝えと、ここのホノギ名が「ダイリ」(内裏か?)という地名であることから、ここが館であるとして、地元の皆さんがきれいに整備しております。でも、この場所、観光パンフレットでは「紀貫之邸跡」という紹介のされかたをしちょります。
そう、土佐日記で有名な紀貫之さんですね。確かに紀貫之は、西暦930年から4年間、土佐国司を務めちょりますので、国司の館に住んだのは間違いございません。と、言う訳で、古今和歌集を編纂した紀貫之にちなんで、ここには短歌や俳句の立札や句碑がたくさん並んじょります。
京から連れて来た愛娘(6歳くらい)を、都へ帰る直前に急病で亡くし、その悲しさを歌った
みやこへと おもふを ものの かなしきは
かへらぬひとの あればなりけり
という有名な歌の歌碑もあります。
また、写真左下の「紀貫之邸跡」と書いたポールの向こう側に建つ石柱には、高浜虚子の
土佐日記 懐にあり 散る櫻
という素敵な俳句が刻まれちょります。
静かでのどかで柔らかい空気の流れる素敵な場所です。一度行ってみることをおすすめします。