月と木星と天神橋〔2688〕2010/08/25
2010年8月25日(水)晴れ!
今日も相変わらず暑いですな。ここは今朝の鏡川、天神大橋と潮江大橋の間の北岸。左手の山影は筆山で、正面の橋が天神大橋。その上に、まだまん丸いお月様が輝きよります。とっと上には木星もキレイに写っちょりますね。
この天神橋の歴史は、にっこりひまわりでもビッシリギッチリお伝えしてきました。南岸にある山内家の菩提寺、真如寺と、筆山の山内家墓所へ、お殿様がお参りするというがが本来の目的で藩政期初期につくられた天神橋。
2008年7月8日のにっこりに書きましたが、今の潮江大橋の場所に、明治の頃、地元の有力者2名が私費で橋を架けました。
有料の賃取り橋ですな。そして、潮江地区とお城下とを結んじょった訳ですが、明治36年に大きな潮江橋が架けられました。明治39年には電車も走ることになる大きな潮江橋が完成したので、それまであった天神橋は取り壊されたそうです。で、潮江橋のクで営業しよった2名の有力者さん、この写真の天神橋の場所に、潮江橋にあった賃取り橋を移設して、再び営業を再開したとのこと。
渡船しかなかった当時のこと、私設賃取り橋は、こじゃんと地元の役に立ちよった訳です。こんな賃取り橋、全国の河川に架けられて、住民の大切な足となっちょりましたが、たいがい、それを架けたのは地元の有力者。大地主さんであったり大庄屋さんであったり。
ここ天神橋のクに橋を架けてくれたがも、その例に漏れず地元の有力者さん。
なんとですね、その子孫の方と、最近ビッシリ飲みにいったりするようになりました。そう。お客様の声、広場に書き込みを頂き、にっこりにも時折登場する潮江雪太郎さん。この方は現在、潮江地区でこだわりの農業を営んでおられます。昔からの潮江の有力農家さん。
いやいや、2008年7月8日にご紹介した際には、その子孫の方と高知の街をホゲマワルことになろうとは夢にも思うちょりませんでした。世の中、色んな所でつながっちょります。