よさこいは商店街を練り歩くモノ〔2674〕2010/08/11
2010年8月11日(水)晴れたり雲ったり降ったり
台風の関係でしょうか、なかなか安定せんお天気ですが、高知の街中ではよさこいが最高潮を迎えようとしよります。やっぱし高知の夏はよさこい。
よさこいが若者に共鳴してどんどんと盛んになっていきよった時代、バンドマンとかで深く関わりよったひまわり太郎としましては、やっぱし、この、なんでもありのエネルギーほとばしるお祭り騒ぎが、すべての原点やと思います。ここ帯屋町会場をはじめとして、商店街を練り歩くがが高知のよさこい、本場のよさこい、よさこいの原点。これが無けりゃあ、よさこいぢゃありませんな。昔やりよった時も、中央公園でステージに乗って演るがが一番悲しかったです。
街中の道という道をよさこいの音響と踊りが溢れる2日間。この雰囲気自体がよさこいなのであって、よさこい館みたいながをつくってステージで踊りを見せても、それは決してよさこいではないと思います。思いませんか?
最近、この商店街を利用してやりゆう、とある高知らしい賑やかなイベントが、来年からはできんなるかも知れん、という話が出ちょります。前回色々と問題があったので、これからは警察が許可をせん、という方向らしいです。商店街の道路を利用した新しいイベントは極力認めない方向とか、できればよさこいも認めとうないがよ、と暴言をはいた警察官も居るとか、色んな話が出てきます。
「道は、ヒトや車が通るところであって、イベントをしたりするところぢゃあない」というがが警察の見解。昔から、何かイベントをやろうとするたんびにこの話を聞かされました。しかしそうでしょうか。
古来、道は、ヒトが通る場所であり、ヒトが情報交換する場所であり、ヒトが集うところであり、コミュニケーションの中心地でした。いつから通るだけのところに成り下がってしもうたがでしょうか。
よさこい館みたいながをお金を掛けて作り、ステージで踊るがを見せるより、毎週でも毎月でもかまんき、数チーム、こうやって大音量で帯屋町を練り歩かせた方が100倍楽しいと思いますがいかがでしょうか。