宝永町、ワンダーランドへの入り口〔2675〕2010/08/12
2010年8月12日(木)晴れたり曇ったり
写真は今朝の中宝永町。宝永町という町名は、ビッシリ書いちょります通り、この界隈にあった宝永堤に由来します。宝永4年(1707年)10月に発生した大地震で、高知の城下も水浸しになってしまいました。で、浦戸湾からの水がお街に入って来んように建設されたがが宝永堤。そんな話も、高知の皆さんはほとんどご存じないでしょう。地震の記憶は大切ながですけんどね。
ちなみに宝永地震は、東海、東南海、南海の3つの大地震が同時に起きたもので、有史以来最大最強といわれちょります。
土佐も甚大な被害を受け、種崎は家も何も全部流されて何もない更地になったとのこと。宝永の地震の記憶が伝えられちょった地域では、147年後の安政地震で、先人の知恵を活かすことができたそうです。現代は情報が氾濫しちょりますが、やがてやって来る南海地震に対して、どれっぱあ過去の記憶を活かすことができるか心許ないですね。例えば、こないだ7月30日にご紹介した、夜須の観音山にある地震の碑に書いちゅう話。日の入りの頃の津波第1波を観音山で逃れた方の中でも、済んだと判断して家に帰ったり、貴重品を取りにモンたりしちょった方が、午後8時頃の第3波で流されてしもうたという重大な事実。メッソ知られちゃあしませんね、これ。こんな情報が一番大切やないろうかと思います。
さて、ここはとあるビルの入り口。ここを抜けると、その向こうには昭和のワンダーランドが。狭い未舗装の路地の両脇に古い古い木造2階建ての長屋が建ち、昭和中期の雰囲気満載のカラオケスナックや居酒屋、剥きだしの昭和のトイレとかが並んじょります。昔、探検したことがありますが、なかなか期待通りでした。すごかったです。
この入り口は普通の世界からワンダーランドへ入っていく秘密の入り口。夜、通ってみると古い古い昭和を体感できます。