文化9年、文化12年、嘉永4年、嘉永7年〔2653〕2010/07/21
2010年7月21日(水)快晴!
夜明け前、涼しい風が吹き抜けてこじゃんと心地良い季節です。梅雨の湿気も吹き飛ばされ、夏がやってきました。日中の激烈な暑さと対照的に早朝の心地良さ。早起きをお薦めします。
ここはいつもの野市、上岡八幡宮。夏の朝のお宮さんは、なんとなく夏休みを想い出す、懐かしいような雰囲気満載。そう言えば小学校ももうまあ夏休みでしょうか。
昨日、鏡川、物部川のお話をしました。で、高知市内を流れる鏡川は、こないだの大雨が嘘のように澄みわたって静かに流れよりますが、物部川の流れはまだだいぶ濁っちょります。
上流ダム底の大量の土砂が混ぜ返されちゅうきでしょう。エサ釣り解禁になった鮎の釣果が心配されるところ。
さて、この左手の燈籠は、文化9年(1812年)8月15日にご寄進されたもの。物部川の歴史を見てみますれば、文化12年7月6日~8日の3日間続いた大暴風雨で物部川下流域の堤はすべて決壊、大洪水になったとあります。つまり、この燈籠が建てられて3年後、この界隈が大洪水になった訳で、たぶんこの上岡山も島のようになったがやないでしょうか。そう言えば、向こうのあの鳥居、嘉永4年(1851年)に建てられちょりますが、やっぱし3年後、安政の大地震が発生しちょります。鳥居の上の笠木、島木の部分と貫は、左右の柱の石より新しいので、安政地震か南海地震で東海した際に修復工事が行われちゅうみたいです。元々のパーツと思われる古い笠木は、この脇に、無造作に置かれちょりますね。たぶん何十年も。
寄進された3年後になにか自然災害が起きる法則があるがでしょうか。あるとすれば、この本殿の修築工事が行われたがが昨年の春ですきに、再来年あたりが危ないですな。
この八幡様は、大昔から、幾多の自然災害に遭いながら静かに鎮座してきた鎮守の神様であります。