介良野の澤本さんと住吉野の武市さん〔2654〕2010/07/22
2010年7月22日(木)今日も快晴!
家を出る時間帯は、まだ空に星がきらめきよります。会社が東の方向にあるので、自転車で疾走するうちに前方の空が明るくなり、そのうちに見事な朝焼けが拝めます。緑の、そして黄金色になりかけた田んぼの向こうに美しい朝焼け。風は、日中からは考えられんくらいの涼しさで、こじゃんと心地良いのであります。
通勤途中には色々な興味深いポイントがありますが、今日は、潮見台団地入り口からちょっと北東の集落へ入り込みました。そこに、このような立派な碑が屹立しちょります。ちくと入り組んじょりますきに、メッソ知られちゃあせん、「澤本楠彌誕生の地」の碑。ここは介良野。
澤本楠彌さんは、この介良野で、安政2年(1855年)に生まれました。地域の役場や議会で活躍し、明治14年(1881 年)に26歳で県会議員に選出されちょりますきに、優秀やったがでしょう。明治14年に県議会議長になったがは、こっから東へ歩いて20分かからんクに住んじょった武市安哉さん。年齢は楠彌さんより8歳上ですけんど、近所ですし、同じ志を持った地方議員ということで、交流はかなりあったがやないろうかと推測します。武市さんの碑については、昨年2009年8月6日のにっこりでご紹介しちょりますね。
で、その後、明治20年の三大事件建白運動の際、澤本さんと武市さんは長岡郡建白総代として上京、退去命令を拒否して一緒に投獄されちょります。片岡健吉さんとかの同志ですね。この時期に、2人ともキリスト教に入信しちょります。
その後、2人とも北海道開拓事業に生涯を捧げ、澤本さんは龍馬の甥の坂本直寛さんとかと北光社を設立、副社長として筆舌に尽くしがたい苦労をされちょります。開拓した野付牛村は、今の北見市ですね。
坂本直寛さんもキリスト者で、もちろん片岡健吉さんもキリスト者。
自由民権運動とキリスト教と北海道開拓は、こじゃんと縁が深いのであります。龍馬さん、ひょっと明治まで生き残っちょったら、この辺と関係しちょった可能性も高いと思うがは妄想でしょうか。