立志社跡〔265〕2004/01/06
2004年1月6日(火)晴れちょります
昨日が仕事始めの方も多かったと思いますが、いかがですか?正月のお酒が体内に残っちょりませんか?運動で吹き飛ばして、元気に頑張りましょう!
と、いうことで、今朝は早朝から市内中心部をたつくりました。写真は、新京橋の中央公園東入り口付近に建つ「立志社」跡の記念碑。
立志社は、征韓論に破れ、下野した板垣退助を中心に、片岡健吉らが参加して明治7年に組織された政治結社ですね。この立志社が、日本の自由民権運動の出発点であり、総本山でもありました。「自由は土佐の山間より出づ」の言葉通り、ここが、この場所が出発点だった訳です。
この運動が引き継がれ「海南自由党」の結成に繋がり、国会期成同盟から「自由党」結党へと時代は流れていくのであります。
向かって右の碑は昭和27年に建立、左手前の碑は平成3年に建てられました。
私事で恐縮ですが、今朝、この左側の碑の後ろを見てビックリ。「伊藤丘城書」と書いちゅうではありませんか。この文字を書いたのが、書家の伊藤丘城先生だったのです。この先生、私の高校の書道の先生でした。な、懐かしい!
私は自慢ではありませんが、字が下手です。書道の成績は散々でした。
あるとき、ひまわり太郎、まぬけな事に右手の薬指を骨折し、ギプスをせんといかんなりました。右利きのひまわり太郎は、その学期、仕方が無いので左手で字を書きました。もちろん書道の授業で書いた作品も左手の作品ですね。
成績は、右手で書いた時より良くなっちょりました。とても複雑な心境でした。