上岡八幡宮の蛇、市商の校歌〔2648〕2010/07/16
2010年7月16日(金)曇り
今朝、いつものように野市の上岡八幡宮へ寄っちょりましたら、ご覧のように目の前の参道を可愛らしい蛇さんが横切っていきました。ハミやったらこわいですけんど、普通の蛇は、遭遇したら何となく縁起が良いような気がしますよね。朝から得した気分になりました。
話はスッポン変わりますが、ひまわり乳業の創業者は、明治30年の生まれで大正4年に高知市立商業学校を卒業しちょります。市商の愛称で親しまれちゅう高知商業高校の前身ですね。最近甲子園へメッソ出ませんもんですきに、聴く機会が減っちょりますが、あの市商の校歌、その短さと格調の高さで異彩を放っちょります。
正式には何番まであるがか知りませんが、通常は4番までが歌われ、甲子園では1番だけ歌われたりします。4番まで通じて、「高知」とか「商業」とかの単語がいっぺんも出てきませんので、校歌と言われんかったら何の歌かようわかりません。
1.鵬程万里果てもなき 太平洋の岸の辺に 健依別のますらおは 海の愛児と生まれたり
この甲子園でもよく流れた1番が特に有名。高知らしい、そして壮大な歌詞。で2番から後がまたすごい。
2.天にそびゆる喬木を レバノン山の杜に伐り 舟を造りて乗り出でし フェニキア人のそれのごと
3.椰子の木茂れる所より 極光閃くあたり迄 荒き波路をわけて行く イギリス人のそれのごと
4.海の愛児よ我が友よ 奮い起つべき秋は来ぬ いざヘルメスの神まつれ いざ健やかに出でゆかむ
フェニキア人は、3000年の昔、レバノン杉で船をつくって海へ乗り出して地中海の覇者となった海上貿易民族。ヘルメスの神は、ご存じギリシャ神話の商業の神様。この国際色豊かで希有壮大な、そして独特の印象的な歌詞は、この商業学校の先生であった竹村正虎さんによるもの。明治41年に発表されちょります。つまり、大正4年に卒業しちゅうひまわり乳業創業者は、この校歌を歌うた訳です。
高名な文筆家に頼まいでも、その学校の気概を肌で感じ、燃えるような想いを持っちょったらこんな歌詞が書けるがです。