市ヶ谷台のエリートたちと現在の防衛省〔2637〕2010/07/05
2010年7月5日(月)東京も蒸し暑いからさ
てな訳で今朝は東京。昨日の夜の飛行機でやって来ました。東京もなかなか蒸し暑うございますな。背広を着て満員電車で通勤しゆう皆さん、ホントにご苦労様です。
今朝は四谷から市ヶ谷方面をたつくりに行っちょりました。「谷」がつく地名が多いだけありまして、かなり起伏に富んだ地形。特に、谷底を走る靖国通りから北はかなり高い見上げるような丘になっちょります。通称市ヶ谷台。
昨日、7月4日の高知空襲のお話をしました。ニッポンを、あの悲惨な戦争に引きずり込んだ犯人は色々ありますが、ここ市ヶ谷台の偏差値秀才たちもその重要な犯人たち。
ここ、現在の防衛省のある広大な丘に、太平洋戦争の頃、陸軍省と参謀本部が置かれました。特に、参謀本部作戦課などは陸軍大学を優秀な成績で出た偏差値エリートの独壇場で、他の部局の出入りすら拒否しちょったという独断孤高の城。
「我々がバカな国民どもを指導して、強いニッポンをつくるのだ」というとんでもない思い上がりが、あの戦争を引き起こした原因のひとつにもなっちょります。
ここに、平成6年まで、戦時中は参謀本部と陸軍省として利用され、戦後には東京裁判の法廷となり、昭和45年には三島由紀夫が立て籠もり、バルコニーで演説し、割腹自殺を遂げた建物がありました。今は取り壊され、その一部を集めた記念館になっちゅうそうですけんど、そんな重要な施設は記念に残しちょいてもらいたかったですな。ものすごい歴史を刻み込んできちょります。
ところでこうやって走ってみると、この市ヶ谷台、靖国神社からは割合しゅっとですね。そして太平洋戦争が始まる頃まで参謀本部があった三宅坂からもしゅっと。市ヶ谷というと、神田御茶ノ水から結構離れちゅうイメージがありますきに、もっと皇居とかから遠いと感じちょりました。
参謀本部が三宅坂から市ヶ谷台で引っ越したがも、かなり遠くへ引っ越したと勝手に想像しちょりましたが、ちっかいもんです。
東京都心部も、自分の足でたつくりまわってみると、意外とせんばいことがわかります。地下鉄とかでしか移動しやあせんかった学生時代には気付きませんでした。