赤岡、飛鳥神社安政地震の碑と徳永千規さん〔2632〕2010/06/30
2010年6月30日(水)晴れ
いつもの上岡八幡宮は、旧野市町にございます。その東隣が旧赤岡町で、今ではどちらも香南市。その旧赤岡町の香宗川沿いに、飛鳥神社という古いお宮さんが鎮座ましましちょります。その本殿の裏手に、この大きな碑が立っちょりました。
昨夜、高知在住のライターで郷土史をこじゃんと面白く語ってくれる渡辺瑠海さんに、とある会合にて龍馬話をして頂きました。その話の最後に、龍馬さんとは直接関係はないですが、この赤岡の碑文を現代土佐弁に訳してご紹介いただきましたので、今朝は早速ちくと寄って撮影してきたのでありました。
これは、安政5年、ここの陣屋に郡方として勤務されちょった国学者、徳永千規(とくながちのり)さんが、安政の大地震でこの界隈がどんな被害を受けたかを記し、後世の戒めとした「安政地震の碑」。これによりますれば、安政元年11月の朝、地震があって、干上がった手結港にウナギがたくさんピチピチしよったがをみんなあが喜んで獲った話や、その翌日に巨大地震がやって来て家屋倒壊、津波が襲うてきたという話が刻まれちょります。昔、宝永の大地震があったことを昔話として忘れ、油断しちょったがが大被害につながったということで、この安政大地震のことが昔話になっても、絶対に油断したらいかん、という忠告は、耳が痛うございます。
徳永千規さんは、市内の桜井町界隈の生まれ。で、かの陽明学者岡本寧浦さんや国学者鹿持雅澄さんとかに師事して勉強し、その学識能力は高く評価されたそうです。弟子に武市半平太くんが居ったりします。
人名辞典を見よりましたら、この方、菅原道真公の遺品を土佐へ運び、大津で斃れた松本春彦(白太夫)さんの来国を考証した「天満社宮居考」という書を著しちゅうそうです。こりゃあ白太夫神社をビッシリお参りしゆうひまわり太郎としては、いっぺん読んでみんといけません。
さてさて、昨夜の会合で、渡辺瑠海さんが徳永千規さんについてお話したところ、会に参加しちょったメンバーが「徳永千規さんはボクのひひじいさんながですよ」と言い出してまたまたビックリ。高知はぜんばいです。