輪抜け様から一夜明けた潮江天満宮の白太夫社〔2633〕2010/07/01
2010年7月1日(木)晴れたり曇ったり
今日から7月。夏ですな。高知で夏の訪れを感じさせてくれるのは、ここ潮江天満宮の輪抜け様。毎年6月30日ですきに、昨夜がそうでした。会合があったのでよう行かんかったがですけんど、文字通り祭りの後の境内は、大量のゴミが積み上げられて昨夜の賑やかさの余韻に溢れちょりました。
天満宮の夏越し祭り、輪抜け様は、境内にしつらえられた大きな茅の輪をくぐり抜けて厄を祓い、夏を元気に過ごせるようにおこなわれるお祭り。
県下でも、たぶん一番人出の多い神社のお祭りですね、これは。このにっこりに最近時々登場されます潮江雪太郎さんたち潮江天満宮の氏子さんたちが、あの巨大な茅の輪をつくるがやそうです。つくりゆう現場も一度見てみたいですな。
さて、普段は夜明け前後という早い時間にはメッソ参拝客さんも居らん潮江天満宮、今朝は次から次へと善男善女が訪れよりました。右端にそんな参拝客さんが拝む拝殿が写っちょります。
写真中央に写っちゅう、小さな鳥居のある祠、白太夫社でございます。潮江天満宮の摂社。元々は、昔、紀貫之さんが船出した港があった大津の山裾に鎮座ましましちゅう白太夫神社。菅原道真公が太宰府で失意の内に亡くなり、その忠臣、松本春彦(白太夫)さんが道真公の遺品を嫡男、高視さんが住む土佐へ届けにやって来て、高視さんが住む潮江に到着直前、大津で亡くなってしまいました。その松本白太夫さんをお祀りする神社が白太夫神社で、あちこちの天満宮さんにも、その境内社として祀られちょったりします。
その松本白太夫さんが土佐へやって来たがを考証し、本にしたがが昨日ご紹介した徳永千規さん。ひまわり太郎の知人のひひじいさん。その「天満社宮居考」は「土佐國群書類従」の第1巻に載せられちゅうそうですきに、まだ読んじゃあせんがは迂闊でした。白太夫さんが何故、浦戸湾を潮江からずっと奥へ行った大津に先に立ち寄り、そこで客死したのか。その謎を追いかけて妄想しよったひまわり太郎にとっては必読の書であります。