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白太夫さんの軌跡、大津、尾戸、絶海中津さん〔2634〕2010/07/02

白太夫さんの軌跡、大津、尾戸、絶海中津さん

2010年7月2日(金)曇っちょりますね

てな訳で、昨日、帰り掛けに高知県立図書館へ寄っちょりました。昨日お話した「土佐國群書類従」掲載の「天満社宮居考」を見てみる為ですね。が、閉館間際で時間がほとんどなかったため、ナナメに読み飛ばしただけでした。今度休みの日にでもじっくりまったり読みたいもんです。

さて、で、徳永千規さんが調べて書いた内容によりますれば、ひまわり太郎の松本春彦さんが船でやって来た説はあえなく粉砕されてしまいました。讃岐から、12月の厳しい四国山地を越え、歩いてやって来たと書かれちゃあります。かなりのご高齢やったと思われますきに、本当とすればすごいこと。

迷いながら偶然に行き着いたお寺が、弘法大師ゆかりの雲門寺という大きなお寺で、そこで病を得て亡くなったという話。ここでちくと引っ掛かるのは、その雲門寺は現在の大津の岩崎界隈とされちゅうこと。あの場所は、平安時代の頃は土佐の表玄関たる港があった、かなり栄えた土地。迷うて行き着いたというにはあまりにも重要地点過ぎるような気がします。道中に国府やお街もありますきに、やっぱし大津へやって来て潮江へ渡る船待ちをしよったというがが正しいがぢゃあないですろうか。冬の四国山地を老人が歩いて越えてきたかどうかは、なかなか難しいところです。

それと、千規さんの文章を読みよって興味深かったがは、大津という地名の説明。もちろん土佐中央部で一番大きい港があった所ですきに大津。小津は、今の小津高校がその地名を残しちょりますが、小津が訛って尾戸になったと書かれちょりました。そうやったがか。藩政期、藩の使用する食器とかを焼いたのがお城の北の「尾戸」で、尾戸焼きと呼ばれ、それが能茶山に移されて今年1月23日にご紹介した斜面の登り窯で焼かれるようになった訳ですが、尾戸は小津やったがでした。なるほど。そして中津はどこか。一般的にいわれるがは市内北部の愛宕山の南。古浦戸湾はあそこまで広がり、愛宕山は浦戸湾に突きだしちょりまして、そこに中津があったと。しかし徳永千規さんは、大島、今の五台山の北側が中津やったと書いちょります。で、中世の頃、夢窓国師の弟子で義堂周信さんと並び称された絶海中津(ぜっかいちゅうしん)さんは、この五台山で修行したので、その北側が絶海(たるみ)池と呼ばれるようになったにはご承知の通り。そして絶海さん、の「中津」は、ここが中津やったことからそう名乗ったと書かれちょります。

写真は夜明け前のまだ暗い絶海池と五台山。

調べれば調べるほど、楽しく謎は深まっていくのでありました。


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