井上俊三さんと龍馬- 2010/06/18(Fri)〔2620〕2010/06/18
2010年6月18日(金)曇っちょります
2007年5月30日、この写真とまったく同じアングルをご紹介しちょります。3年経っても風景はまったく変わっちょりません。潮江天満宮の拝殿のちょっと東、牛の臥像と飛龍梅の前から神池の方を撮影したもの。3年前、この左の柱に刻まれちゅう井上俊三さんという人物が、土佐の写真術の始祖、てなお話をしちょります。ところが。
この柱は左右対になっちょって、もう一つの柱に寄進された年月が刻まれちょります。それによりますれば、この柱がご寄進されたのは大正7年6月。あれ?
写真家井上俊三さんは、明治40年に亡くなっちょりますきに、これは同一人物では有り得ない。しかし、この柱の井上俊三さんも農人町なら、写真家の井上俊三さんも農人町ですき、ひょっとしたら親子で、名前を襲ったがかも知れませんがアカの他人かも知れません。謎になって来ました。
ところで写真家の井上俊三さんは天保5年(1834年)生まれで龍馬さんの一つ上。化学の専門家で、長崎へ行って勉強中に、かの有名な、日本の写真術の嚆矢と言われる上野彦馬さんの弟子になりました。その上野スタジオに、長崎亀山社中に居った龍馬さんが写真撮影にやって来ます。たぶん、同郷の同世代ということもあったがでしょう、井上俊三さんが練習も兼ねて撮影した、その写真が、龍馬の写真でも一番有名な、桂浜の銅像の元にもなった、立ったまま懐手で、肘を台座に寄りかからせちゅうあの写真なのであります。井上俊三さんが写真の原板を持っちょったこととかから、これが定説になりつつありますね。あの龍馬さんの写真を撮影した井上俊三さんは土佐へ帰って写真家として、また西洋雑貨屋として明治40年まで過ごしました。
さて、この潮江天満宮の井上俊三さん、関係はあるのでしょうか。あったとしたら、たぶんひまわり太郎のみが知る、潮江天満宮と龍馬さんの関わりになりますが。