天霧城と香川五郎次郎と長宗我部元親〔2619〕2010/06/17
2010年6月17日(木)晴れ!
しかしまあ、昨日は暑かったですな。33℃。雨が降っちょりましたですきに蒸せましたし、かなりの体感温度でした。今日も引き続いて暑いです。
今朝、香川へ行っちょって、今、帰りの車の中でこのにっこりを書きよります。香川から高知方面へモンて来よって、善通寺のインターを過ぎてしばらくしよったら、正面にこのような山が見えてきます。ご存じでしょうか。
この山、天霧城という山城のあった山。戦国の頃には香川之景さんという武将が本拠として西讃地域を支配しちょったそうです。土佐で、長宗我部氏と本山氏の土佐中原決勝戦、朝倉合戦のあった永禄の頃、この山では、阿波の三好氏が攻め込んできての合戦がありました。
厳しい籠城戦となったみたいですね。この際、高知の鴻ノ森でもあったのと同じ伝説が残されちょります。鴻ノ森氏の場合は白米伝説と言われ、ここでは米流し籠城と呼ばれる同じ話。馬に白米をかけて、遠くから見たら水を流しゆうように見せかけ、まだ水には充分余裕があるみたいに見せる伝説。結局香川氏は三好氏にやられてしまいますが、その後勢力を盛り返して天霧城に返り咲きました。しかし今度の敵は長宗我部元親さん。結局戦わずして長宗我部配下に入り、讃岐攻略に手を貸しました。
元親さん、次男の親和くんを香川家の養子に入れ、香川家嫡男につけられる名前の五郎次郎を襲名させました。
西讃の拠点としてこの天霧城は重要な役割を果たしたのでありました。が、秀吉の四国攻略によって土佐へ引き払うこととなり、ここのお城も廃城への道を歩みました。
岡豊の歴史民俗資料館へ上がって行く道路の途中に「伝香川五郎次郎親和墓所」と書かれた標柱が立っちょります。その墓所に眠るとされる、元親さんの次男、讃岐、天霧城の香川氏の養子となった親和さんゆかりの地が、高速道路から見えるこの山なのであります。