後藤象二郎さんちの幼稚園- 2010/06/15(Tue)〔2617〕2010/06/15
2010年6月15日(火)雨
今日は雨模様。ここは、天神大橋から北へ下ってきた所。左手の壁に見えるように、土佐教会というキリスト教の教会の前。この教会には幼稚園が併設されちょりまして、以前にもお話した通り、ひまわり太郎はその幼稚園の卒園なのでありました。秋野先生という牧師さんが園長で、チンマイひまわり太郎も敬虔な祈りをささげたものです、この左手にあった雰囲気のある礼拝堂で。まあ、ここに通うたのは、家から一番近い幼稚園やったきながですけんどね。
その教会の門の向こう側一角に、藩政期末期、後藤さんという上士のお屋敷がありました。そう。龍馬伝で武市半平太さん達を尋問しゆう土佐藩大監察に抜擢された後藤象二郎さんちが、そこにあったがです。
当時の後藤象二郎さんは、まだ満26歳くらい。それで大監察ですきに、山内容堂侯の信任の厚さがわかりますな。土佐藩の大政奉還建白を幕府に提出した中心人物として知られちょりますが、その際の年齢は満29歳。いやいや若い若い。こじゃんと弁の立つ若者やったそうで、あの勢いやったら、明治政府でも重要な役回りで大事を成し遂げまくりそうでした。しかし、まずは金銭感覚がなく、その尻ぬぐいをビッシリギッチリ岩崎弥太郎さんにしてもろうちょります。三菱があんなに大きゅうなったがも、その尻ぬぐいの延長線上とも言えますな。いや、龍馬伝では血気の若者という感じですが、その人生、かなり傍迷惑なこともいっぱいしでかしちょります。何より、その思想信条が妙に定まらず、風を読みながらあっちについたりこっちに寄ったり。そんな訳で晩年には明治政府の大臣もつとめますけんど、メッソ評価は高うなかったりします。
後藤象二郎さんの人生のハイライトは、やっぱし大政奉還建白でしょうか。まあ、その仕事だけでも、充分立派な人生を送ったと言えるがかもしれません。ひまわり太郎は、その自宅の隣の幼稚園で幼児期を過ごしたのであります。