島村衛吉さんの拷問〔2605〕2010/06/03
2010年6月3日(木)快晴!
今朝は心地良く晴れました。ここはひまわり乳業から南へ下った海岸沿い、久枝。海岸沿いには幾筋がの道路が東西に走っちょりますが、ここは一番海岸に近い道沿い。整備された墓所の一角に、この記念碑が建てられちょります。元々は三島神社にあったものを、昭和43年にこの地へ移転してきたがにかありません。
書かれちゅう通り、島村衛吉さんの記念碑。しまむらえきちさんと読みます。こないだの龍馬伝で、武市半平太さんが投獄されました。で、拷問されて苦しむ土佐勤王党の同志に「えきち!えきち!」と呼びかけるシーンがあったですよね。呼ばれよったのが、ここに記念碑が建てられちゅう島村衛吉さん。
龍馬と同い年で、龍馬の1ヶ月前にこの近くで生まれちょります。剣術の才能があったがでしょうね、安政元年に江戸、千葉重太郎さんの道場に修行にいきました。おっとこの時期、龍馬の一度目の江戸修行中ですきに、一緒に稽古しちゅう訳ですな。
で、一度土佐へモンたがですが、そっからは麻田勘七道場で免許皆伝、また江戸へ行って桃井春蔵道場で皆伝、塾頭になったという武市半平太さんと同じようなコースを歩みます。この頃から半平太さんに心酔しちょったがでしょうか。文久元年(1861年)に土佐勤王党が結成されたときからのメンバーで、かの吉田東洋暗殺事件にも関わっちょります。龍馬伝でやりよった、三条実美勅使が江戸へ勅命をもって下るがにも、半平太さんたちと同道しました。8月18日の政変後、半平太さんと同じように投獄。で、先週の「えきち!えきち!」のシーンになった訳です。
こうやって経歴を見てみると、一度目の江戸修行から高知へモンた後は、ずうっと、武市半平太さんについちゅうことが解ります。
半平太さんは翌々年1865年の閏5月に切腹させられます。
衛吉さんは、その手前の3月、拷問によって亡くなっちょります。拷問のすさまじさ、土佐藩の焦りが、この辺の時系列を眺めるとよくわかりますね。