田野八幡宮前、森林鉄道の痕跡〔2604〕2010/06/02
2010年6月2日(水)晴れ!
今日は高知県東部へ来ちょります。室戸岬の向こう側は、真っ青な海と空がひとつになり、海岸線に打ち寄せる波もものすごく、こじゃんと美しかったです。岬のこっち側とは風景が全然違いますな。歩き遍路さんが大勢、徳島の方から歩いて来られよりました。
ここは田野。ひまわり太郎の故郷、田野。藩政期から昭和にかけて、魚梁瀬杉の搬出積み出し港として栄え、なかなか豊かな町やったらしい田野。今でも大きな蔵のある屋敷とかも残っちょりますね。この森は田野八幡宮で、藩政期中期に大きな商船の模型が寄進され、飾られちょった話は2008年3月7日のにっこりでもしちょります。
そしてその模型は、今、高知県立歴史民俗資料館に、藩政期の田野の豊かさをご紹介する文章とともに展示されちょります。
明治後期になって、その魚梁瀬の杉を田野や奈半利の港へ搬出してくる方法として、森林鉄道が考えられました。で、明治の終わり頃から昭和の初め頃にかけてどんどんと線路が敷設され、総延長250kmというとてつもない長さの森林鉄道網が整備されたのでありました。
この八幡様の森の南、海側に貯木場が整備され、その森林鉄道はそこへもつながりました。写真の森の中に鳥居が見えますでしょうか。その向こうが八幡様で、そっからあの鳥居をくぐり、石段を下りてきます。そして、この橋を渡って石段を降り、海に向こうていくがが八幡様の表参道。何故、ここに橋があるのか。ちくと不自然に見えますよね。あのまんま、鳥居のクから山の下まで降りてくるがが自然。橋がある理由は、この橋の下に森林鉄道が通っちょったきですな。ここを抜けて、左手へ行けばそこに終点の田野貯木場がありました。戦後、自動車道が整備されて材木の輸送が鉄道からトラックに替わり、鉄道の線路も取り壊されていった訳ですが、あちこちにこのような森林鉄道の痕跡が残されちょって、楽しいですね。
ひまわり太郎が子供の頃、田野へ墓参に来るがに高知から車でガタコゴ4時間くらいかかりよりました。八幡様の下に賑やかな貯木場があったことは、あの材木の香りとともに記憶に残っちょります。