船岡山は、上から見たらこんな感じ〔2583〕2010/05/12
2010年5月12日(水)晴れ!
良く晴れました。心地良い朝。清々しい朝の風を受けながら、自転車で高知空港までやって来ました。今日は出張で東京であります。
飛行機の窓からは、普段見ることのできん風景を楽しめます。眼下に広がるのはひまわり太郎が自転車で通勤しゆう介良野、伊達野、住吉野の景色。左手の、山にへばりついちゅう団地が潮見台で、団地の上に小富士山と鉢伏山が、団地のこちら側に向山が横たわっちょりますね。
そして手前に見える楕円形の茶色い部分、ここが、以前から何度かご紹介しちゅう船岡山。
麓には古墳があり、南斜面には住吉大神宮さんが鎮座ましましちゅう、たぶん大昔から神体山(ヒモロギ)として尊崇されてきたであろう船岡山。普段、周辺の道路から見たら、内側がこんなになっちゅうことには気付きません。以前、飛行機から見下ろして、外縁部だっけ残して掘られちゅうことを知りました。あの内側は「ケイ石」が採れるということで、「船岡鉱山」になっちゅうのでありました。もう、内部はほとんど掘り尽くされちゅう感じで、住吉さんの周囲も掘られ、建て替えられちゅう姿は以前ご紹介した通り。空から見ると、色んな事がわかります。
小富士山の右手に高天原山が見えますが、小富士山と高天原山の間が、太古の昔、物部川の河口のひとつやったという話を以前したことがありますよね。つまりその向こうは古浦戸湾やった訳で、蛇行してきた物部川は、この、向山と船岡山の間を抜けてその向こうで浦戸湾に流れ込みよったということです。
この眼下の界隈、古墳も多いですが、小富士山も高天原山も、そして手前の船岡山も、どうやらヒモロギやった雰囲気があります。東へ行くと弥生時代に南四国で一番栄えた田村がありますし、今は良田が広がるこの眼下、土佐でもかなり栄えた地域やったことが想像できます。