物部氏、物部郷、物部川、物部村〔2582〕2010/05/11
2010年5月11日(火)曇っちょります
ここは野市、上岡八幡宮の、元西参道。ビッシリご紹介しゆうように、以前、この向こうの物部川に渡しがあった頃、物部川西岸の方の氏子さんが上岡八幡宮へ参拝するがに通りよったと思われる参道。橋ができた今は、こっちから参拝にくる氏子さんも居らんので、鳥居や燈籠も毀れたまんまで放置されちょります。そしてこの季節になるとこのように雑草が生い茂って鬱蒼としてきますね。
こないだ5月6日のにっこりで、昔物部川が流れよったがやないろうか、と妄想した河床跡と思しき所をご紹介しましたが、あそこから東は、その昔、今の上岡と地続きやって、ほんで、現在でも大河物部川を挟んで氏子さんが存在するがやないろうかと妄想しよります。
この上岡には島内さんとかの姓が多く、西岸には奴田原さんとか高島田さんとかが多い訳ですけんど、皆さんこの上岡八幡宮の氏子さんであります。その西、5月6日ご紹介の低地の西の入交さんとかになると、上岡八幡宮さんの氏子ではないなります。
この西岸界隈が旧香美郡物部郷で、今の南国市物部。古代の豪族物部氏の部民が住んだので物部郷ということらしいです。ですきに、そこを流れる大河が物部川と呼ばれるようになった訳ですね。この川の上流、現在は香美市になってしもうた旧物部村は、1956年に、香美郡槇山村と香美郡上韮生(かみにろう)村が合併してできた村。村内を物部川が流れるので物部村になった訳ですけんど、その物部という名称の元々は、現在ひまわり乳業本社がある南国市物部、昔の香美郡物部郷、古代の名族物部氏の部民が住んだと妄想される物部郷なのでありました。
さて、物部氏の関係者は、ここに住んでどんな暮らしをしよったがでしょう。国造とはどんな関係やったがでしょう。布師田(この地名も古いですな)の葛木男神社、葛木女神社は、当然葛木一族の蘇我氏に関係がありそうですけんど、そことはどうやったがでしょう。妄想は、どんどんと暴走していくのであります。