年を数えたことはございません〔2581〕2010/05/10
2010年5月10日(月)小雨
ここは今朝の上岡八幡宮。雨の朝、参道脇の紫陽花の蕾を撮影してみました。向こうに石段と拝殿が微かに見えます。
まだ、この蕾は直径6cmくらい。これから大きくなり、ブルーの花を咲かせます。蕾とは言え、紫陽花に雨はよう似合います。
さてさて、お詫びをせんといかんことがあります。このにっこりで、こないだうちから、よさこい節に歌われたエリート僧、純信さんの年齢を、10歳若うに書いてきちょりました。いや、手元の小冊子にそう書いちょったもんで、何となくそのまま書いてしもうちょった訳です。面目ない。申し訳ございませんでした。
純信さんのホントの生まれは1819年。龍馬さんより4歳上ぢゃあ無うて14歳上。武市半平太さんとは同い年ぢゃあ無うて 10歳上。河田小龍さんよりも5歳上で、吉田東洋さんの3歳下。つまりですな、お馬さんの20歳上のエリート僧やった訳です。
駆け落ちして捕まり、お城下三番所で晒し者にされた時、純信さんは、まだ誕生日がきちょらんですきに満35歳の分別盛りで、お馬さんは何と満15歳やった訳です。なるほど。昔の15歳。それも飛びきり美人で有名やったそうで、こりゃあ庶民の話題になるがも無理ないところ。
ひまわり太郎が尊敬する郷土史家、岩崎義郎さんに「追跡!純信お馬」という著作があります。あの事件の詳しい事実関係、当時の土佐の状況とかを綿密に調べて書いた名著。それによりますれば、お馬さんの裁判をした松岡毅軒さんという方の話が残っちゅうそうです。毅軒さんがお馬さんに「五台山の僧は、お前の母親と同い年の老僧である、お馬は妙齢の身を持ってこれに恋慕するとは何ごとぢゃ!」と問い詰めたところ、お馬さんはこのように答えました。「わたしはただ坊さんが恋しいだけで、年を数えたことはございません。」
謹厳で知られた毅軒さんも、必死で笑いをこらえたそうです。ベストアンサーでした。