上岡、被爆の碑〔2568〕2010/04/27
2010年4月27日(火)時化
今朝は時化模様。朝から強烈な雨と風。時化みたいで、傘をさして歩きよったらアジャパーになってしまいます。どうなっちゅうがでしょうかね、まっこと。まあ、土日にこんなお天気やのうて幸いでした。観光に来てこれやったら悲しいですきんねえ。
ここはいつもの上岡。旧野市町、香南市の上岡。八幡様のある上岡。向こうの山が上岡八幡宮の山で、家の左手に参道入り口の杉の木が見えよります。上岡は、あの八幡様が示すように古い古い集落。古い大きな、お蔵付きのお屋敷もどっしこありますきに、空襲とかには遭うちゃあせんみたいに見えますが、実は戦争で被災しちゅうがです。
道路からちょっと入り込んだ集落の中心部には、古い家は無く、新しい家屋が並んじょります。その中に、写真左手に写っちゅう「被爆之碑」が、祠と一緒に立っちょりました。
この碑の背面に刻まれちゅう文字を読むと、この周辺だけ古い屋敷が無い意味がわかります。昭和 20年5月3日、ここは米軍B29の爆撃を受け、地区民7名、地区外民1名、軍人2名が亡くなり、家屋全半壊多数、という被害に遭うちょります。上岡は高知の中心からずいぶんと離れた農村地帯ですきに、普通やったら空襲に遭うような土地ぢゃありません。疎開してくるようなのどかな場所。が、戦争後半になって、この西側、物部川の対岸に海軍が飛行場をつくって練習機を飛ばしたりするようになりました。そこでこの界隈一帯がグラマンの機銃掃射やB29の爆撃対象になってしもうた訳です。
上岡にこの被爆の碑が立っちゅうことは知っちょりましたが、場所がわからず、よう探し当てちょりませんでした。昨夜、この上岡に住む、高校の後輩に会う機会がありまして、この場所を教えてもらいました。あの上岡山にも防空壕の跡が残されちょって、子供の頃の遊び場になったりしちょったそうです。
戦後65年、忘れ去られて行きよりますが、戦争の傷跡は、あちこちに厳然と存在します。