田野八幡宮の和船模型は今どこへ〔2567〕2010/04/26
2010年4月26日(月)晴れ
いやしかし、松江、良かったです。城下町の街づくりのお手本になると思いますきに、ぜひ勉強に行ってもらいたいもんです、高知の関係者の皆さんには。
てな訳で、今日は高知にモンちょります。ここは県東部の田野町。町のちょっと手前、道路の南側の森に鎮座まします田野八幡宮の拝殿の中。このお賽銭箱が拝殿内にあるもんで、靴を脱いで屋内に入らんと参拝できんのであります。
この屋内、実は、2008年3月7日のにっこりでご紹介しちょります。あの時には、この右手の梁から吊り下げられた、大きな大きな和船の模型をご紹介しました。
明和元年(1764年)という古い銘が赤い墨で書かれた模型。ご覧になって頂ければ解りますとおり、漁船の模型ではありません。大阪とかと往き来しよった、当時の商船でしょう。田野浦は、藩政期までは静かな漁村やったようですけんど、藩政期になり、土佐藩の木材を大阪界隈へ積み出す基地となってこじゃんと繁栄しました。裕福な商人も現れ、天下の台所大阪と直結した賑やかな港町へと成長したのであります。
県東部には、この田野とか、室戸の吉良川とか、木材通商で栄えた港町が多いですね。で、そんな通商の安全、商売繁盛を祈願してでしょう、立派な船の模型が奉納された訳です。
そんな貴重な文化財をイナガラ吊り下げちょったこの拝殿。まだ、今でも、吊り下げちょった鉄の棒が梁からぶら下がちょります。一応、左上の梁には防犯カメラが取り付けられちょったりはします。さて、あの立派な和船模型はどこへ行ったのか。正解は、岡豊の高知県立歴史民俗資料館。こないだの4 月10日、リニューアルオープンした日に、ひまわり太郎は拝観に行っちょりましたが、その展示に中に、見慣れた和船模型があるではありませんか。そう。ここに奉納されちゅう模型船は、今、立派な展示ケースに入れられ、保存展示されゆうのでありました。このあるべき場所にないというがも、ちくと寂しいような気もしますが、確かにここはあまりにも無防備ですきに仕方ない所でしょうね。藩政期土佐の海運の状況を伝える貴重なモノですきに、たくさんの皆さんに観て頂くがもエイかも知れません。
岡豊へ行きましたら、ぜひご覧になってみてください。精巧で立派な、藩政期の田野の繁栄を伝える模型です。!