雨の五台山、長江、お馬さん〔2561〕2010/04/20
2010年4月20日(火)雨のち晴れ
今日はまあ、暑うなりました。何度まで上がったがでしょうか。お昼前に晴れ始めてから、どんどんと気温は上昇して夏のようになりました。が、朝はご覧の通りの雨。しっかり降る雨の早朝、いつものように自転車で快走。
ここは五台山の北側。この南東に青柳中学校があります。この川のようになっちゅうのは絶海(たるみ)池の東端。この池が、この界隈が海やった時代の痕跡でしょうか。正面の五台山は、浦戸湾に浮かぶ大島という島でした。
右端の青い看板には、左へ行くと「長江」であることが書かれちょります。左へ、この鉄板でつくられた歩行者専用にちんまい橋を渡り、田んぼの中の道を歩いていくと、そこは長江(ながえ)。
ひまわり太郎、ここの風景が実は好きながです。何となく、アジアを感じさせてくれる池と橋と川縁の建物。そこに「長江」と書かれると、「ちょうこう」と読みとうなりますけんど、「ながえ」。この地名は、たぶん、この界隈が海やった時代の名残。大島の北東部に深く入り込んだ、長い入り江やったがやないでしょうかね。
長江で思い出すのは小倉三省さん。藩政期初期、土佐南学の大家として野中兼山さんを助けた人物。かなり強引な手法の野中兼山さんが長い期間失脚せずに腕をふるうことができたがは、小倉さんの後押しがあったきと言われちょります。
土佐南学は、ずうっと下って幕末の土佐の勤王思想に受け継がれていっちょりますきに、そんな意味でも重要な人物、小倉三省さん。この左端の山に墓所があります。
幕末で長江と言えば、何と言うたち「お馬」さん。長江の鋳掛け屋さんの娘、お馬さん。五台山のエリート僧との恋愛事件で、殺伐とした幕末に話題を提供したお馬さん。後世、破戒僧ということで有名になってしもうた純信さんと、この五台山から駆け落ち騒動を起こして有名になったがは安政2年(1855年)。お馬さんは坂本龍馬さんの4歳年下で、純信さんは龍馬さんの6つ年上。龍馬さん、一度目の江戸剣術修行を終えて帰ってきたがが安政元年で、二度目の江戸修行へ出たがが安政3年ですきに、駆け落ち騒動の安政2年には丁度高知に居ったことになります。有名な事件ですきに、たぶん知っちょったがやないですろうかね。満20歳という多感な青年龍馬くん、美人で有名なお馬さんのことが気になったりせんかったですろうか。