住吉野から、三宝山頂に昇る朝日を眺める〔2554〕2010/04/13
2010年4月13日(火)晴れ!
やっと晴れました。晴れてヌクい朝です。
ここは南国市の住吉野。左端、船岡山に住吉大明神の本殿を覆う白い屋根がちょっとだけ写っちょります。とっと向こう、三宝山頂の上に、まさに朝日が昇り始めた時間帯。昨日ご紹介した大谷神社の東に聳える、ペルム紀から三畳紀にかけての地層で成り立っちゅう三宝山。以前、山頂にスカイレストとか遊園地があった三宝山。今年2月 13日のにっこりで、こっそり山頂をご紹介しちゅう三宝山。
三宝山は、金剛山と呼ばれよりました。標高259.9mと、駆け上るには丁度良い、しかし、戦国期の本城を築くにはちくと険しすぎる山。元々、あの、ギリシャの神殿のように四角く盛り上がった上に、金剛道寺、通称金剛童子というお寺さんがあったらしいですね。ですきに金剛山。また、竈戸(かまど)神社が鎮座ましましちょりまして、その神社は三宝社とも言いました。ですきに三宝山。
あの盛り上がった頂上部分へは、ゲートが閉まっちゅうので入れんなっちょります。が、あの上に竈戸神社が今も祀られちゅうことを、ひまわり太郎は知っちゅうのであります。2月13日に知りました。
山の北西麓近くに、四国第28番札所の大日寺があります。南路志によりますれば、長宗我部元親公時代の大日寺の支配領域に、「金剛童子の城」が含まれちょりますので、大日寺領であり、また、お城があったこともわかります。お城と申しましても、たぶん、見張りをする為の砦みたいなお城やったがやないでしょうかね。ビッシリご紹介しゆうように、香長平野、そして東の方面も、全部見晴らせる眺望絶佳ですきに。大谷氏の砦やったがでしょうか。大谷氏は、長宗我部国親さんによって攻略されました。長宗我部庇護下に入った大日寺の、その支配下に、「金剛童子の城」は置かれたのでありましょうか。
ともあれあの頂上、何とか、一般の人たちも行けるようにしてもらいたいもんですよね、あの眺望絶佳がもったいなさすぎます。