高知の忠霊塔、満開の桜、乃木大将の忠魂碑〔2547〕2010/04/06
2010年4月6日(火)春うらら
昨日の東京は冷たい雨やったですが、今日の高知は初夏でした。気温はどれくらい上がったでしょうか。もう葉桜も目立ち始めた高知市内では、田植えもオオカタ終わり、ツツジが咲き始めちょりますきに、初夏と言うてもかまんでしょう。
が、咲くがが遅い堀川や築屋敷(つきやしき)の桜は今が満開。平日やなかったらこれ以上ないお花見日和ですな。築屋敷の東、ビッシリご紹介するフランクチャムピオンさんの記念碑の東に、大きな忠霊塔があります。写真は、その前のキレイな桜。たぶん、忠霊塔という塔の性格上、全国的に、桜が美しい忠霊塔は多いと思います。
が、高知で「忠霊塔の桜」と言えば、まずはここが連想されますよね。いかがでしょうか。
この写真の中央下部に、ちょっとわかりませんが、石造りの忠魂碑が写っちゅうがです。右肩部分が割れ落ちて、「公奉勇」という文字が残った碑。欠け落ちたまんま、足下に転がる右肩部分には「義」と刻まれちょりまして、右から読んだら「義勇奉公」。あれは、2006年9月25日のにっこりでもご紹介した、乃木希典大将揮毫による忠魂碑なのでありました。明治40年の建立。
つまり、当時の日露戦争の英雄、乃木大将に揮毫を願い、日露戦争の戦没者の義勇を称える忠魂碑が、ここにつくられちょった訳です。太平洋戦争でつくられた大きな忠魂碑の奥に、割れた状態でひっそりと建つ、その忠魂碑は、今ではメッソ知られちゃあしません。日露戦争直後の乃木大将は英雄やったですきに、全国に、乃木さんが頼まれて揮毫した忠魂碑とかの類は夥しい数やそうで、これもその一つ。
まあ、日露戦争での現在の乃木大将の評価については、ご承知の通り。高知の陸軍歩兵第44連隊も乃木大将の元、凄絶な旅順攻略戦に加わっちゅう訳で、そこで亡くなっちゅう軍人さんも多いがです。ひまわり乳業南国本社のしゅっと南にも、日露戦争旅順攻略戦の、東鶏冠山攻めで戦死されたことを刻んだ立派な墓石が鎮座ましましちょります。