野市の兄橋、弟橋〔2525〕2010/03/15
2010年3月15日(月)降ったりやんだり
時折雨が降る月曜日。春雨。田植えの季節ですきに、適度な雨がエイですね。
こないだうちから灌漑用水の話題がつづきますので、もう一つ。野市の、野中兼山さんが開鑿した用水は、三叉で分水されて野市の田畑を潤してきたがはご承知の通り。で、その三叉から分かれた水路でも、野市中央部を通る、代表的なものが東野溝と町溝。ここは三叉からちょっと東へ下った所で、ここまでは、真ん中に土手を挟んで東野溝と町溝が並んで流れよります。開鑿されたがは正保元年(1644年)。並んで流れゆうので、そこを通る道には 2つの橋が連続しちょります。南が兄橋、北が弟橋と名付けられ、2本合わせて兄弟橋と呼び親しまれてきたそうですね。
この案内板は2本の水路の間にありまして、向かって左側を流れるがが東野溝、右手に町溝があります。案内板の足下をご覧下さい。以前の橋に置かれちょった「兄橋」「弟橋」という四角い石柱が、昔の名残をとどめちょります。
今も、道路の下を水路は並んで流れよりますけんど、現在ではほとんどわからんようなつくりになっちゅうがが残念。左端の茶色い欄干と、案内板の向こうの茶色い欄干が、ここに2つの水路が流れゆうことをかろうじて示しちゅうのでありました。
この辺が道路工事、土木工事のセンスですな。そんな風流な、そして野中「兼山さんゆかりの橋を、欄干だけで表現するがにはこじゃんと無理がありますき。お金を稼ぐには智恵が必要だが、お金を使うにはセンスが必要」という先人の教えが、ここでも活かされちゃあせんががちくと残念。これからの世の中、古いものの大切さやセンスの良さを忘れんづくとに土木工事をすすめていってもらいたいもんです。