下の新地の守り神〔2526〕2010/03/16
2010年3月16日(火)晴れ!
晴れちょります。こないだうちから黄砂がすごいですね。景色が霞んで見える春の高知。ここは早朝、夜明け前の土佐稲荷神社。ひまわり太郎の家から北東、しゅっとのクに鎮座ましましちょります。もちろん京都の伏見稲荷さんから勧請してきたお稲荷さんで、このお稲荷さんが鎮座しちゅうが故にこの界隈は稲荷町。こっから東、浦戸湾に面した界隈は、明治から昭和にかけて、稲荷新地と呼ばれた高知有数の繁華街でございました。玉水町が上(かみ)の新地、稲荷新地が下(しも)の新地とも呼ばれます。料亭、遊郭、芝居小屋などがギッシリと並び、それはそれは華やかやったと思われます。
このお稲荷さんの東に、知寄町2丁目から延びてきた土佐電鉄の停留所もあったくらい、栄えた新地やったのであります。
もちろん、あの、映画で有名になった陽暉楼の下店も、稲荷新地にありました。夏目雅子さんの「鬼龍院花子の生涯」では、土佐の繁華街を取り仕切るのは、侠客の親分、鬼政こと鬼龍院政五郎。高知の皆さんはご承知の通り、鬼頭良之助さんという実在の侠客がモデル。以前も書きましたが、この人物は、高知のいたるところに痕跡を残しちょります。高知市柳原の、フランクチャムピオンさんの碑も、鬼頭さんが建立したもの。あの飛行機を飛ばす興業を取り仕切ったがが鬼頭良之助さんやったことがわかります。潮江天満宮とか九反田地蔵尊とかに鬼頭さんの大きな大きな百度石がありますし、そしてここ、稲荷新地の土佐稲荷さんの玉垣には、大きく「鬼頭良之助」と書かれちょります。
よく見てみますと、この玉垣にはたくさんの人物名やお店の名前が書かれちょります。稲荷新地の繁華街で活躍した皆さんでしょう。調べてみたら、面白い名前や店名がでてくるでしょうな、たぶん。
今は静かな土佐稲荷さん、明治から戦争の頃まで、下の新地の守り神として尊崇されよりました。