高ノ森合戦と八頭神社〔2489〕2010/02/07
2010年2月7日(日)晴れ!
良いお天気の日曜日。気温も上がって昼間はぬくうなりました。もう、春へ向かう雰囲気マンマンの高知県地方でございます。
今日は、午後、鏡川から朝倉方面をたつくりに行っちょりました。最近高知で刊行された「戦国朝倉合戦」という本があります。戦国土佐の決勝戦、長宗我部氏と本山氏の戦いを描いた本で、近森正博さんという郷土史家の方の力作。土佐の中原を支配しちょった本山氏に長宗我部氏が挑んでどんどんと勢力範囲を広げ、朝倉で合戦を繰り広げるお話。伝説にもとづく話も多いのでありますが、当時の本山氏と長宗我部氏とのすさまじい鍔迫り合いがよくわかります。
1560年の長浜城攻略から始まって、筆山の潮江城からどんどんと元親さんの勢力範囲が広がります。本山氏は守勢一方。
そんな中、いくつかの歴史に残る合戦が行われました。長浜戸ノ本の合戦、井口城の攻防戦、そして高ノ森の合戦。
高ノ森は、現在の鴻ノ森で、高知市北西部に聳える難攻不落の山城がありました。守将は本山方の高ノ森出雲。このにっこりでも何度かご紹介しましたね。激しい戦いの後、最終的には籠城戦となり、悲しい悲劇となっていく高ノ森の合戦。
ここは電車通り、サティ様の東をちょっと北へ入った住宅地の中。ひっそりと、このようなお宮さんが鎮座ましまちょります。八頭神社。この小径の向こうにはサティさんが見えよります。
合戦の最中、ここに首を切られた八人の武者の遺体が放置されちょったそうです。ですきに八頭神社。流れから言えばたぶん岡豊方の武者。で、ここに八頭神社が地元の皆さんによってお祀りされ、現在まで伝わっちゅうがにかありません。朝倉界隈、朝倉合戦や高ノ森合戦の戦死者に関係する祠がどっしこありますが、その中でもここは大きなもの。
頭も病いに霊験あらたかということで、参拝者も多く、キレイにお祀りされちょります。その、サティ様の駐場からは、鴻ノ森が大きく見えます。