六道能化と白菊部隊〔2488〕2010/02/06
2010年2月6日(土)晴れ!
北日本や北陸では雪がこぢゃんとエライみたいですね。冬型ですきに、高知は晴れて冷えました。ここは高知空港南の夜明け前。
向こうに、空港の灯りが見えゆう道路沿い。ここに何面してお地蔵さんが鎮座ましましちょります。気付かんづくとに通り過ぎてしまいそうな、静かなたたずまい。
台座には文久3年と刻まれちょりますき、龍馬脱藩の翌年。向かって左手に、まだだいぶ新しい、歌を刻んだ石板がたてられちょります。
六道能化に身をやつし 苦海にしづむ我等には たすけ給うる地蔵尊
と読めるような気がしますが、違うかも知れません。六道能化(ろくどうのうげ)は、六道の巷に現れて衆生を教化し救う地蔵菩薩のこと。地蔵和讃とかでは、お地蔵さんは、幼くして亡くなった子供が賽の河原で苦しみのを救います。「いちじゅうつんではおさなごは・・」とつづく地蔵和讃はこぢゃんと悲しいですが、この石板に刻みつけられた歌はそれを連想させます。
文久3年は、安政の南海地震の8年後。この界隈も津波が襲うちょりますきに、それとひょっと関係があるがかも知れませんね。全然関係無いかも知れませんが。
このように、地元の皆さんに大切にされゆうことはよくわかります。
道の向こう側に見えゆう碑は、何度かこのにっこりでもご紹介した白菊部隊の記念碑。ここの飛行部隊で、練習機「白菊」で訓練をつんだ若者が、神風特攻隊に組み込まれて沖縄の海に飛んでいった話を伝える記念碑。
まだ子供とも言えるような若者の悲劇で、その記念碑近くにお地蔵さんというのも、偶然ぢゃあないような気がしてきます。